六稜会報Online No.26(1993.7.20)


    【特集】六稜クラブ活動小史
    地学研究部

    日本一のアマチュア天体望遠鏡


       昭和20年秋の物象班では、伊藤栄一氏(60期)らがまず気象観測をスタートさせた。校舎屋上東側に風速・風向計をとりつけ、記録を取っていたが、戦後の混乱期で、どろぼうが入り、持って行かれたりする。
       この流れが、クラブになり、地学研究部になる。30センチの大反射望遠鏡は、アマチュア界では日本一といわれ天文マニアの地学部員が、部員総出の組立てをした。本体は直径50センチ、長さ2メートル、重さ100キロあった。

       当時の部員であった北橋忠宏氏(69期)は「昭和31年の6月には、火星の地球大接近があって、通常は許されなかった授業期間も望遠鏡を据え付けたまゝで、土曜日は夜遅くまで火星のスケッチに精を出した。有名な運河の模様など、どう思い入れをしても見えず、全体に少し濃淡があるかなあという程度であった。よく知られた秘話だが夏の夕暮れには1キロ離れている淀川堤に次々現われる男女の二重星を観測していて、顧問の西田先生にみつかった。像が上下逆さまになるのが欠点であったが、何しろ風にそよぐ葦の葉の一枚一枚がみえるように感じた程、鮮明な像だった」と語る。

       しかし、この天体望遠鏡も今はない。平成3年の文化祭には、15センチの天体望遠鏡を自ら作成したり、太陽黒点観測の研究結果を発表したりして天体への思いを続ける一方では、富田林市の石川河床足跡化石の発掘に参加するなどユニークな研究も続けている。


    原典●『六稜會報』No.26 p.13