六稜会報Online No.26(1993.7.20)


    【特集】六稜クラブ活動小史
    物理研究部

       昭和20年秋の文化3班結成時に生れた物象班をその祖とする。平井直兄(60期)、片岡俊夫(61期)、国米惇(62期)氏らがはじめたもの。はじめは鉱石ラジオの組立てなどからはじめたという。又、平井氏は階段教室で下級生に物理のレクチュアーをした経験をもつ。

       クラブになって物理研究部となり、その後無線部が分離独立した時期もあったが現在は無線部はない。西田驍夫、福田博造先生を顧問に、それぞれ、思い思いの研究をした自由なグループであった。
       小松彦三郎氏(66期)などは「あまり、クラブとして活動した記憶はない。先輩にはその後、物理学に進まれた方も多いが、私のあと部員が一人もいなくなったと思う。」
       一時停滞期を経て、能勢功一氏(75期)らは「ホーバークラフトの研究と称して文化祭にオートバイのエンジン浮揚の実験をやったものゝ音が大きく講堂の発表が聞えぬとのクレームがついた。それでも何かやっているという実感はあった」と語る。

       現在の物理研究部は、コンピューターを中心にした様々の研究が時代を映して人気があり、パソコンのオリジナルソフトも次々と発表している。又、アマチュア無線局も再び活動を開始した。OBも創立期の平井氏を中心に東京理研の会をつくり、年1、2回の会合をもっている。


    原典●『六稜會報』No.26 p.12