『化研誌』発刊で再生
この化研の好奇心と遊び心は引継がれ、例年文化祭では、様々の研究が発表された。昭和31年当時の部長だった、稲森久彦氏(69期)は当時を振り返る。「とにかく、化研部室にはいつも誰かがいて、さながら、梁山伯の如きものだった。文化祭での、発表はあらゆる分野にわたっていた。前日から泊り込んでエチールアルコールで合成酒をつくり香り付けに十三公園の何かの木を入れたりしたが、西田驍夫先生に飲んでもらい、いけるとほめられた。実験室のガスバーナーですきやきをやり、その酒でしこたま酔払った人もいた。古きよき化研時代だった。」
その後、しばらくは停滞期に入るが、例年の文化祭では相かわらず、思い思いの発表が続いている。
昭和56年度には、公害問題の研究もかねて、文化祭では淀川の水質検査の研究発表を行い注目を洗びた。
また、昭和62年は『化研誌』を発刊。この年は渡辺直丈氏(100期)が「硫酸の三つの性質」で「日本化学会」の奨励賞を受賞。
これらの活動に村し、第3回六稜文化活動振興賞も授与された。