創部の年に府準優勝 仲の良い男女のバレー部
同年国体西日本予選に出場、11月には京都で開かれた第1回の近畿大会にも駒を進めた。その後の活動も順調で、30年11月、48年5月に1部優勝を飾り、49年の春の高校バレー大阪府予選で準優勝。この年から3年連続で近畿大会に出場の好成績を残した。
一方、女子部の成績も目を見張るものがある。28年4月の府民大会で、四天王寺高校を破り優勝、6月には大阪府準優勝、9月には近畿大会に優勝した。第8回国体に大阪代表として出場した。この年と翌年の29年は1部リーグで優勝している。
誇りだった木本氏の活躍
現役の活躍もさることながら、OBの活躍も特筆に値するものだ。創部の翌年の23年11月に結成された「六稜クラブ」はクラブ大会に度々出場、50年のクラブカップでは、全国大会に出場している。特に初代のキャプテン木本恒雄氏(60期)は、27年から3年連続、東西対抗で西軍のメンバーに選抜されたほか、黄金時代の東レ九隣会の名バックで、その活躍に刺激された後輩も多く、北野バレーの誇りだった。29年には全日本の代表として海外遠征に参加した。その後、東レ女子の監督に就任した。
初代OB会の会長も務めたが、今年5月に他界、会員の無念さは想像に余りある。
女子が18年ぶりに1部昇格
また、このクラブの特徴を挙げれば、男女部員間の仲の良さもその一つだろう。44年には部員同士のカップル第1号が生まれ、60年には6組目の結婚となっている。
仲良く低迷を続けていたバレー部も、女子が57年に近畿大会に出場、7月には18年ぶりに1部に昇格した。