ベテラン剣士も北野道場に
剣道OB会の発足へ
昭和15年全盛時代の剣道部員
北野80年史では、明治27年4月、柔術、剣術が正科に採用されている。部活動というより、正規の授業で剣術すなわち剣道が教えられていたのだ。
明治25年に発足した校友会の会則をみると、部は文芸、武術、運動の3部なり、とあり、単独の部としては存在しなかったようだ。さらに、大正15年に改正された校友会則には野球部などと並んで「武道部(剣道、柔道)」と記されており、柔道部とともに、このころぐらいが創設の時期と考えてよさそうだ。
恩師井上先生の指導で開花
しかし、校史などに初めて登場する「剣道部」は、昭和15年5月19日である。「剣道部、全関西大会で優勝」(北野110年史)。
56期の青木博氏によると、13年に剣道の先生として北野に着任された井上正孝先生の指導が、剣道部を大きく発展、変質させた、という。先生の教えは勝ち負けばかりにこだわらず、気位と気概を持つことが中心で、わずか4年の在籍だったが、その教えが花開き、先述の関西大会の優勝をはじめ、16、17年の近畿大会優勝や18年の大阪府中学大会での青木氏の個人優勝へと続く。
が、戦争の影響が色濃くなり、校友会も報国団へ改組、剣道班として縮小され、休部へと追い込まれてゆく。
しかし、井上先生の教え子である中尾益朗氏(54期)らは「井上正孝先生を囲む会」を結成、86歳の現在も玉川大学の師範を務める先生を招き、毎年“OB”会を開いている。
高まるOBとの交流
復活が一番遅れた剣道部も、30年に、当時2年だった長束達也氏(69期)が、奔走、再建にこぎつけた。3年後には、大阪大会で準々決勝に進出する“剣豪”も誕生するなど成績も徐々ではあるが上がっている。なによりもこの男集団にとっての喜びは、女流剣士の誕生だろう。
第1号が西井かつ子さん(78期、現橋本)だ。入部当時、たった1人の部員とあって、いろいろの大会などには出場もままならず、女子高校のなぎなた部などとの練習試合が主だった、という苦労話が、やっと今ごろになって伝ってくる。その女子部も60年には、インターハイの大阪府予選で団体7位となり、近畿大会へこまを進めている。
「井上正孝先生を囲む会」のベテラン剣士東新氏(54期)も、このところ、週1回北野道場へ通い、後輩との練習や指導の機会も増えている。「六稜剣道部OB会」発足の気運が一気に高まっている。