30年春には48校が参加した中で、中央大会に進出、ベスト8に名を連ねている。その後、低迷を続けていたものの50年に入ると、一学年に10人前後の部員にも恵まれ、53年には参加87校、中身の濃いベスト16になった。
というのも準々決勝で敗れた相手が優勝した泉州学園高校で、対北野戦をのぞいて決勝戦までコールド勝ちしていたからだ。加えて同校の監督は「唯一の苦戦」と評価したほどだった。
平成4年には大阪総合体育大会でベスト16に、秋の部別大会では念願の1部(参加130チーム中、春夏の成績上位24チームで構成)に進出した。この年には2年にスタートした第1学区公立大会に優勝している。
「OG総会」は毎年開催、現役との交流試合のあと、懇親会となるが、昔話はきまって旧の図書館で泊まり込んだ合宿のことだそうだ。98期の三砂多津子さんは「自宅から扇風機やかとり線香を持ち寄っての寝起きは、恐怖でもあったが楽しみだった。食堂の合宿食は夏バテと疲労で半ば拷問でした」と振り返っている。