六稜会報Online No.26(1993.7.20)


    【特集】六稜クラブ活動小史

     明治6年(1872年)4月23日、創設開業の期とす(学校日誌による)。

     大阪府令第153号により欧学校(同年5月2日には府令164号により集成学校に変更)が、東区(現中央区)南久太郎町5丁目難波御堂内に設立された。その後、校名は変遷するが、学制にもとづく学校としては本邦でもっとも古い歴史を誇る北野の誕生である。母校の歴史については、今秋発刊の北野120年史に詳しいので、ここでは、クラブ(部)活動、あるいは生徒の余暇活動に限って、振り返ることとしたい。


       六稜クラブ活動をたどるとき、明治25年(1892年)の校友会創設がその原点となる。校友会を文芸・武道・運動の3部に分け、生徒はいずれかに属するものとした。運動部は陸上と水上に分かれ、水上には漕艇と水泳、陸上にはテニス、ベースボール団などがあった。
       この校友会組織は改正を経ながらも、昭和16年、報国団に改組されるまで続き、六稜クラブ活動の発展に寄与する。

       明治29年に発刊された校友会誌『六稜』は昭和16年の91号をもって廃刊になるが、実に45年の間、校内の情報誌として、創作・研究の発表の場としてはたした役割は大きい。
       第二次大戦後の昭和20年9月、報国団は解散、校友会が一時的に復活し、運動各クラブの他に、地歴、物象、生物などの班が新たに或いはもう一度生れるが、昭和23年6月、校友会は正式に解散、これにかわって北野高校自治会が発足。その傘下に運動、文化の各クラブが生まれ、百花繚乱の時代を迎えて今日にいたるのである。

       この特集では、運動関係20、文化関係20の合計40団体をとり上げた。時間の制約もあって不備な点も多いが、120周年を機に、OB各位が今一度、それぞれのクラブ活動を振り返るよすがになり、各クラブの今後の発展にいくばくかでも役に立てば、と思う。


    原典●『六稜會報』No.26 p.6