ケントウッド高校派遣団1998
ケンウッド高校体験記
3年8組 M
一九九九年三月二十日午前九時三十分頃、私はついに念願の交換留学生として、初めてアメリカの地に降り立った。これからの二週間、一体どうなるのだろうと期待と不安で胸がいっぱいだった。日本に帰って、あれからもう一ヶ月がたとうとしている今、すべてが元の生活に戻って、なんだかホストファミリー、ケントウッドでの生活を懐かしく感じてしまう。時間的に、全然昔のことではないのに。それだけ私にとっ
てこの二週間のホームステイは、異文化に触れ、いろんな人と出会い、驚きや楽しみに満ちた、決して忘れることのできない日々であったのだと思う。
まず、空港に到着し入国審査などを通ってから、ホストファミリーとの対面があった。一週間目のホストは、去年北野に来た時に私の家に一泊した Andrew で、彼のご両親が迎えに来てくださっていた。解散後、私達は車ですぐに家に向った。もうその時には、私の頭の中では English が駈けめぐっていて、彼らと話をしながら、ついに America での生活が始まったと実感した。
Andy ( Andrew の nickname ) の家は二階建てでかなり大きな芝生の庭があり、思っていたとおりとても大きかった。一階にビリヤードの台が置いてあるのを見たときには、思わず驚いた。ビリヤードの台が家にあるのは一般的ではないと言っていたが、Andy の家族は共働きでも上流階層でもない。車も三台ある。ずっと大阪市内のマンションに住んでいる私にとって、生活は全く違っていた。Andy は車の免許を持っていた。(16歳から免許が取得できる) 休日には彼の友達と一緒に、車でSeattle に行ったり、ビリヤードで遊んだりした。夜の8時ぐらいに友達が家に遊びに来たこともあった。
二週間目のホストは Bill だ。私と同様、ピアノを習っており、吹奏楽の授業で打楽器をしている音楽の好きな子である。 彼も Andrew と同じく、車に乗り。彼の家にも三台あった。Andy や Bill のように、America の高校生には車を運転する子がたくさんいる。友達が少し離れた所に住んでいても、車を使えばすぐである。どこへ行くにも車があると、行動範囲が広がって”便利だなぁ”と、一緒に遊んでいて思っ
た。去年、Andyが私の家に来たときに、友達と一緒に自転車で梅田に遊びに行ったこととを考え比べると、やはり文化の違いを感じてしまった。高校生から車を運転することは危険な感じもする。しかし、車に乗る彼らには、自分の身は自分で守るという自律心があり。さらに、友達が一緒に乗っていると、その人の安全も守らないといけないので、責任感も同時に持つことになる。彼らにとって必ずプラスになっているはずだ。
この交換留学で一番楽しく意義のあったことは、 Kentwood 高校に通い、ホストの子や他の友達と過ごした日々だ。
Kentwood 高校は三学期制で、生徒は各自で何の授業を履修するかを、学期ごとに選ぶことができる。一限が九十分で一日に四限あり、(7:50am〜2:35pm)選択した四教科は月曜から金曜まで毎日同じで、次の学期まで受け続けるのだ。
生徒が選べる教科は本当に多種多様だ。例えば、数学では Algebra (代数学)、Geo-metry (幾何学)などに分かれている。また、言語でも、私の知る限りでは SignLangu-age (手話)を合わせ六つはあったようだ。さらに、気がついた科目のなかに、Creative Cooking というのもあった。
最初の頃はホストと同じ授業を受けていて、一週目は、Humanity,English Literature,Chemistry,Journalism (グループになって新聞を作成したりもする。)で、三日目から二、三限を Japanese,French に変えて受けた。Humanityは世界史の授業に似ていて、その時は古代ギリシャの話をしていた。授業中、よく10分〜30分のビデオを見たり、スライドを使ったりして、私にはかなり興味深く思えた。
二週目は、一限が2つに分かれ、七時半から始まり Band(吹奏楽)と Jazz Band。二限からは通常の時間で Japanese,French,Geometryを受けた。
英語を話す彼らにとっての外国語の授業を私も一緒に受け、授業の方法がやはり日本とは違っていると感じた。特に印象深かったのは、先生が自分の教える外国語で生徒に話しかけていたことだ。生徒もできるだけそれに応じて外国語で話しているのを見て、とても感心した。生徒が先生に質問するときも同様である。先生は、文法の説明など、英語を用いた方がよいと判断されたときには英語を用いておられた。また、時に応じて、外国語で言ってから同じ内容を英語で繰り返したりもしておられた。もちろん、生徒が前に出て発表するのは度々だ。
初めて French のクラスに行ったとき、先生からとても上手なフランス語で、いきなり話しかけられ、名前などを尋ねられた。ラジオ・テレビを使った独学の私のとって会話をするのは初めてだったが、何とか通じ、英語なら大丈夫と思っていた矢先、不意打ちをくらってしまった。
French のクラスでは二週間目の金曜日、つまり最後の学校の日に、お別れパーティーを開いてくれた。みんなお菓子やジュース、手作りのケーキなどを持ってきてくれた。(約30人)で自由に食べたり、話をしたりしてとても楽しかった。しかし、同時に、別れるのはつらく、親しい子とは ”hug ”もした。
印象に残っている出来事に2つある。
一つは、Cherry Blossom Festivalでピアノを弾いた時に、standing ovationをしてもらったことだ。
もう一つは、毎年この時期にKentwoodで開かれるダンスパーティー“Tolo"に行き、友達とみんなで踊った(なんと土曜の9:00p.m.〜midnightまで)ことだ。
テーブルなどすべて移動させた食堂を会場に、生徒のDJがおり、カラフルなライトに照らされドレスアップした大勢の生徒が、巨大なスピーカーから流れる曲に合わせて踊るのだ。
Kentwoodでは、一年の間にHome Coming,Tolo,Prom(これは3年生だけ)の3つの大きなダンスパーティーがある。日本の高校では当然だが、ちょっと考えられない。
もちろん、他にもたくさん思い出はあり、もっと詳しく書きたいこともあるが、書ききれないほどだ。本当に、心の底から楽しかった最高の二週間だった。一生に一度しかない高校時代に,このようにKentwoodに行くことができ、向こうの生徒やホストファミリーと出会い、一緒に時を過ごすことで、国境・言葉の壁を越えた人と人との触れ合いを実感できた。私にとって、一生かけがえのない体験だ。
最後に、私を受け入れてくれたお世話になったホストファミリー、この国際交流担当の先生方に感謝し、お礼を言いたいと思います。
Thank you for everything. ほんとうにありがとうございました。
Last Update : Jul.27,1999