〜平成10年5月末
【改築直前】
reporter:壽榮松正信(74期)
昭和6年(1931年)に中津から現在の地、十三に移転した北野高校の校舎は、今年から5カ年計画で新築・撤去という運命をたどります。みなさんの想い出のP型校舎は今後どうなって行くのでしょうか…。幸い、近くに住んでいるという利点を活かして、わたくし壽榮松がチョコチョコ撮影に行って、皆さんにお知らせしたいと思います。
【北中透かし】
60年以上にわたって、六稜生を見続けてきた北中の透かしマーク。『中北』と逆になっていますが、設立当時は横書き文字は右から書いていたので、これが正解。
現在、淀川の堤防からは木が茂っていてほとんど見えない状況です。この位置から見たことのある人は、地学部員かその連れくらいのものでしょう。
近頃、屋上へは上がれなくなっています。一つは防犯のため、もう一つは雨漏りのためと思われます。三階の廊下の所にシャッターが付いていて、簡単には入れないようになっています。六稜WEB取材班は、その厳しい警戒の中、秋田校長の目を盗んで(笑)、屋上へ突入しました。
【屋上より運動場を見る】
あと数日でこの景色は無くなるのです。それにしても大阪一の進学校と言われる割には、クラブ活動の活発なこと。
この日(5月30日(土))だけでも、運動場で野球部、陸上部、サッカー部などが同時進行で練習をしていました。野球のノックがあるかと思えば、突然「パーン」とピストルの音、陸上部が運動場の真ん中を走り抜け、P型校舎に「デーン」をしていました。
一番奥のテニスコートでも、男女テニス部員が一生懸命練習中。六稜WEB取材班は「怪しいおっちゃん」と勘違いされはしないか…少し心配しながら撮影にいそしみました。
【運動場から〜その1】
多湖ピッチャーを始め、記念すべき第2回選抜優勝ナインも見たというバックネット。また、後に有名になる浪商の尾崎(当時一年生、のちに東映フライヤーズ)もこのバックネットを見た一人です。戦後の色々な生徒たちの生き様を見てきた野球部のバックネットも、もう少しで見れなくなります。
【運動場から〜その2】
それに、大きな楠。これは保存されることになっています。
【写真部も取材】
北野高校写真部も、来る日のために継続して映像を残しています。この日(5月26日)は中間考査終了の息抜きでしょうか…球技大会(27日実施)の取材をしていました。