山本敏文先生
35歳になったときに「地学」が高校の必須科目になったのです。そのおかげで北野へ来ました。当時の竹内校長から「来ないか」と言って頂いたのですが、華頂のほうでも「地学」の教師が必要でずいぶん引き留められました。そのせいで、正式に決定するのが遅かったのです。結局、赴任したのは昭和38年の6月になっていました。
その時の1年生(78期)には悪かったのですが、遅れた分を取り返すために、はしょった授業になって、面白くなかったかも知れませんね(この場を借りて謝罪します)。
当時は、女子校時代の癖で生徒の顔をじっと直視することが出来ず、まんべんなく首を動かして教室中を見回したものです。それで「レーダー」なんて綽名もつけられたりしました。女子校では一人だけの生徒を見続けたりすると問題になったのです。
■今も校舎屋上にたたずむ 望遠鏡の台座 |
日食や月食の時には合宿をしたものです。地学部員の中に熱心な生徒がいました。一緒に山へ行ったこともありました。望遠鏡を持っていったものです。 太陽系以外にも天文のことでは、銀河系、系外星雲、色々な島宇宙を研究して銀河系もこれと同じ島宇宙かなと思ったりしましたよ。そんな写真を見るのが楽しみでした。
そのうち主鏡にひびが入ってしまって…太陽の観測をしているときに部員が強く締め付けたのでしょうね…3本のボルトで締め付けていたのですが、その時のひびがどんどん広がっていったのです。アレは、気付いた時に修繕を施しておくべきでした。
府立高校の地学の教師が集まって「地学教育研究会」というのを主催して、私もその委員を務めていました。そこで実習項目を含めた教材テキストを作製するんです。北野でも夏休みの宿題に使いましたよ。これが結構、楽しかったのです。火星の軌道を描いたり、地質図を完成させたり…20枚ほどありましたかね…とにかく生徒も1年生だったので大学入試を考えるまでにまだ余裕があったのですね。
そういえば地学以外に物理も何年間か教えたりしました。主に女子のクラスで…ほとんど受験に関係ないということで持たされたのだと思いますが…僕としてもあまり無責任なことはできませんからね。入試に関係ないクラスで良かったと思います。
また、琴も大学の時から始めましたが…これまでに4人の娘たち全員に教えました。楽しかったですね。どうしても「変わり者」なので他人のやらないことがやりたくなるのですヨ。曲としては宮城道雄さんの曲が得意ですね。「奏美会」や「いぶき」という会にも10年ほど所属してています。生田流正派という流儀です。
そうそう。北野時代に一度だけ…ホームルームで琴を弾かされた憶えがあります。英語の中田先生が尺八の名人で…どういうワケかそれを聞き付けたクラスに頼まれましてね…彼と一緒に演奏を披露しました。いやぁ、楽しかったですね。
文化祭では「私は誰でしょう」という出し物をやったクラスがあって、出演を依頼されましてね。私が問題になった時…案の上、当たらなかったですね。生徒が僕のことを知らないんです。何しろ変人でしたからね(笑)。あれは企画者の狙い通りだった。
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よくご存知ですね。それも僕の綽名のひとつでした。黒板に太陽系を…惑星の軌道を…描くんですが、ちゃんと【ボーデの法則】に則って…火星と木星の間隔とか考えながら同心円を描いたものです。さすがに海王星、冥王星までは描きませんでしたがね。
あれは別に特訓なんかしてませんよ(笑)。授業のたびに練習したようなものです。コツがあるんです。第3象限→第2象限→第1象限→第4象限の順に下から時計回りに描いていくのです。そうすると巧く描けるのです。それと、肩だけでなく腰を使うのがコツ。ちょっとやってみましょうか?
これは琴の演奏なんかにも相通ずることなんです。それに…生徒50人の目が光っている前で恥はかきたくなかったですからね。深呼吸をして、力を抜いて…慎重に、かつ、確実に…星の軌道をチョークで辿るのです。これは非常に生徒の受けが良かったですからね…期末の最期の授業の時に決まって生徒からアンコールされて、円を描かされたものです。うまく描けると拍手喝采で、それで大団円。
僕の十八番はホントは丸だけじゃなかったんですヨ。天気図を描かせる実習で…その説明をする際には日本地図もフリーハンドで描きました。樺太から北海道、本州という風に描いていくのです。最後の仕上げに淡路島や小豆島などをチョンと描いた途端に生徒から「待ってました」と言わんばかりの拍手の嵐で…。
でも、楽しかったですね。やはり一番「想い出」に残っているのは、そんな…実習を行って生徒が生き生きと学習してくれたことですね。
定年退職後も気象には興味があって研究を続けています。自宅の駐車場から黄道がよく見えるのです。ペンタックスの口径10cmの天体望遠鏡を買いましてね…ハレー彗星やヘールポップ彗星などもよく見えましたよ。星は、観測している間にも地球の自転で動きますが、僕は目的の星を手動でいつも視野の真ん中に持ってくることができます。慣れてくれば簡単なものです。いわゆる「人間【赤道儀】」といったところですね(笑)。
近頃では、地球温暖化や大気汚染など…困った問題が増えてきています。私の願いとしては、これ以上悪化せずに、生態系に大きな影響が出ないようにして欲しいです。平均気温が1度変化しても、ある生物にとっては致命的なダメージなのですから。そのことを忘れないで、宇宙の一員の務めを果たさねば…と思うのです。
ボーデの法則
赤道儀
太陽から各惑星までの距離の関係をあらわしている経験則のひとつ。1766年にドイツの数学者J.ティティウスが発見し、ドイツの天文学者J.ボーデによって72年に発表された。この法則によると、各惑星までの距離は、4、7、10、16、28、52 、100、196に比例するというもの。この数列は、0、3、6、12、24、……という数列の各数字に4をたすことでつくられた。法則が発見された当時は6個の惑星しか知られておらず、数字は観測事実とほぼ一致した。しかし、その後に発見された海王星(1846年)と冥王星(1930年)の位置は、ボーデの法則にあてはまらなかった。
地球の自転軸が、太陽の周りを回る公転面に対して約23度傾いているため、星の運行は北極星を中心に回転するように見えます。そのため、天体望遠鏡を乗せる架台は回転軸の方向を、北極星の方向に向ける『赤道儀』が用いられます。