76期卒業アルバムより(1964) |
村川行弘先生
定時制の女の子が殴り殺されて、死体が教壇の下に隠されていた…という事件もありました。犯人は外部の者の仕業だったのですけれど、あの時ばかりは尊敬していた校長も軽蔑しましたね。慌てふためくばかりで。教頭はそれ以上に動転していますし。
事故処理にあたった教頭と先生方は、やりどころのない悔しさと屈辱・心労を経験しました。皆さん、胸に秘めておられますが。
連合赤軍の森恒夫ですか?彼は教えましたからよう知っています。75期でしょ。浅間山荘事件の時に公安が北野にも取り調べに来ましたよ。そんなんね…卒業して10年も経った子のことなんか…もし担任してたとしても、よう判りませんわ。高校生時代は普通の真面目な子やったと思いますけどね。思想的に影響を与えるようなことは北野高校ではやりませんから、専ら大学へ入ってから偏って行ったんだと思います。
「吹田事件」の時はね。心配になって阪大から西国街道を通って、吹田へ向かう生徒の後を着いて歩きました。そうしたら私のほうがだんだん興奮してきてね。「石を投げつけよう」思って石を掴んだら、反対に生徒に制された。「先生…投げたらイカン」と。70年安保の時もひどかったですけども。そういう危険な時期が、時々ありましたね。
何ででしょうかね。社会の世情不安がそうさせるのか。そして、どういうわけか、私は運が悪くて、他の先生以上にそういう現場を体験してしまう運命にありました(笑)。ほんまに辛いんですよ。
しかし、こればっかりは「当事者しか知らん」いうことが、ようけありますわ。歴史には静かに封印されるべき種類の事実もたくさんある、ということです。『北野百年史』にも少しだけ触れましたけどね。ちょっとだけ…その範囲を越さんようにね。
聞き手●石田雅明(73期)、小林一郎(78期)、谷卓司(98期)、矢野修吉(101期)
収 録●Jun.23,2001(北野高校校長室にて)