ずばぬけた偉傑を持たない民族は哀れなもので、日本はどんぐりの勢ぞろい、それ等が相談しても良い知恵の浮ぶはずがなく、ずるずると深みにはまりこむ一方であった。軍はあせる。あせっては葉隠なんどと精神主義をおしつける。その軍の威勢に乗っかって曲学阿世の輩が、国史を教育の最高位にのし上げ、大阪では入学試験を国史一科目にしぼってしまった。何とか申す硯学の発言力が強くてかくは相なったと、しもじもには誠しやかに伝わっていた。
こうなると小学校の教育はもう国史一辺倒、これに便乗して出版界は算数も国語も棚にあげ、国史、国史と、手をかえ品をかえて参考書やドリルものを矢つぎ早に世に送る。文部省の指導要領糞くらえだ。
入試はかくも教育を歪めるものである。昭和十四年四月、私は一年生の担任となったのを機会に、受持の生徒五十名に、入学式験に当って、どんな風に準備教育を受けたかを書かせてみた。その中の目ぼしいものをここに抜すいすることにしよう。
監督官庁は世論にこたえて、学校がやる余課(補習授業)に対して厳しい監視の眼を光らせたが、民を治むるに法をもってすれば、民免れて恥なしであって、学校では硯学の眼を逃れるためにあの手この手が研究された。
「・・ある時余課をやっていたら非常ベルが鳴ったので、僕等は本をしまって、窓から大急ぎで逃げ出しました。そしたら硯学でないことがわかって、みんななんだと大笑いしました。」
これは一年生の書いた作文である。勿論小学校が皆このようであったとは推定できないが、かようなことが行われたこと自体教育上の重大問題である。ある先生の話によると、
「なあに君、修身なんてな学科やるものかね。そりゃ時間割にはちゃんとのってるよ。だから児童は机の上へ修身の教科書は出しているよ。出しておいたってそんなもの教えるものか。みんな国史をやってるんだ。
ただ、硯学が来た時の用意に修身の本を置いているんだよ。硯学が不意に現れた時は級長が立って、早速修身の本を読むことにしてある学級さえあるよ。陽動作戦という奴でね。
大体硯学を教室へよこすなんてな校長はかけ出しの素人で、ベテランになるとちゃんと校長室へ迎え入れて薄茶の一ぱいも出す、その間に全教室へ指令がとぶようになってるんだがね。もっとも中にいけずの硯学がおって、直接教室へのりこむこともないとは言えないがね。」
と小学校の実態を教えてくれる。
学校で教えないのは修身だけではない。算数と国語という旧来の最主要課目さえ手抜きをされるのである。北野中学校へ分数計算のできない子が入学したのは、創立以来この時が初めてである。私は試験の答案を見て驚いて聞いてみると通分を全然理解していないのである。また授業の時、利率という言葉が出たら、一人の生徒が利率とは何のことですかと質問する。
「お前達利率を習わなかったのか。」
と反問すると、大多数の生徒からは習いましたと声がかかったが、少数の者がそんなこと習わないと頑張った。いや習うことは習ったが、先生が一ペん説明しただけだと答える者がある。そうだ、そうだ、と賛成者がある。
「僕等は教科書の最後の部分は、家で見ておけと言われただけで、学校では習っていません。」
と先刻質問した子が釈明した。
文部省が教育目標として何をかかげようと、校長がどんな校訓を定めようと、結局それらは絵に描いた餅にすぎないのだ。先生も父兄も児童もみんな入学試験を原動力として動いているのである。しかも一流学校へ入学する生徒の数がその学校を評価する基準となるのであるから、この弊風は改善きれる見込はない。