福田博造先生
観光地の、それも公衆の面前で…みんな見ていくねんで。「こらァっ!」言うて怒るねんけど、ボクはちょっとも腹立ってへんねんな。生徒も全然、悪気ないんや。それ分かってるねんけど、怒鳴りつけんことには、貼った生徒も「甲斐」ないやろ(笑)。
そういう悪戯やったら、なんぼしてもえぇと思うねんな。「あと…チャッチャと、ゴミにならんように片付けてな。ほんなら、ぼちぼち行こか」言うて。楽しかったなあ。
遠足のあとは…決まって生徒らは梅田の歌声喫茶「田園」なんかに集結するんやな。もう、こっちは分かってるからワザと近くにおってな、夜の8:00くらいになったら見計ろうてな「早よ帰りやぁ〜」言うて声かけて(驚かせて?!)帰ったもんや(笑)。
ボクら…遠足でも学校から行くのん面白なかったし、小グループで行くほうが面白いやろと思てた。林校長なんか「旅行いうものはそもそも集団で行くモンやない。あの…何百人もの大群で旅行するのは後進国の日本だけで、先進国はぞろぞろと旅行なんかせぇへん。いずれは日本もそうなるハズや」と言うてはった。
ところが、昭和43年に初めて連れていったときは、もうみんな底抜けに歓びよんねんなぁ。もう、そら「何がそんなに楽しいねん」いうほどやで。晩になっても寝ぇへんわで。それでルール作ってね…23時の就寝以降は男子は女子の部屋に行ったらアカンけど、女子が男子の部屋に行くのはえぇ、と。そしたら23時なったらそっーと抜けだしよんねんな。
修学旅行でも「目は離さん」いうのが方針やったけど、なるべく「口は出さん」ようにしたね。一番最初に修学旅行に行った頃は、まだホテル形式やなしに旅館でね。それこそバス・トイレなんか無いし、ふすま一枚やからね。女子と男子の建物を分けるとか…こっちはいろいろと気苦労しててんけど、とにかく生徒はえらい喜んどったなあ。
修学旅行…やっぱり楽しいンかなぁ。そんなん分かっとったら、もっと早うに実施してあげたら良かってんけどな。最初とりあえず2泊3日で実施したら、今もずーっとそのままやってなぁ。「中学より短い」言われてんけど、まぁ〜北野の欠点というか、ずっーと変われへんな。
昭和50年代に校長さんが「あんたら(古株が)辞めたら、北野の修学旅行も4泊5日くらいにはなりますわ」言うてはってんけど…ボク辞めてんけど、まだ一向に変わってへんらしいで(笑)。
修学旅行を夏休みとかでなくて、なんで12月に実施するようにしたかというと…寒いと事故も少ないからやと思うねんな。ホンマはあかんねんけど…こっそりアルコールなんか入る奴もおるし、暑いと…冷たい水に裸で飛び込んだりする奴も出てくるねんな。
林校長が北野を退官して長崎におられてね。ボクらが修学旅行で長崎に行った折に遊びに来られたんや。そしたら生徒もみんなしっかりしてて…前校長が来られた、いうてキチンと挨拶しよんねんな。それからボクら…先生の家へ挨拶に行って御馳走になってたらね、奥さんが「酒屋で生徒が酒こうてまっせ」言わはってね。
ボクはね「あぁ…見つけんといてくれたらなァ」と思うたよ。ぶっちゃけたハナシ…「部屋の中でそーっと飲んどいてくれとったらえぇのになぁ」とも。その生徒はね…各部屋に風呂があるやろ。あれ、かなり熱うなりよんねんな。それで「燗」して飲んでたんや。アホなことに扉を開けときよってね…。まだ、ボクらあんまり分らんねんけど、酒のめへん女の先生には匂うんやねえ。「アンタら、何してんのん。」言われてね。
「あーぁ」と思うたけども、見つけたらしゃーないがな。怒らンわけにいかんようになってもうて。ボクやったら素通りするんやけどねえ。後で親もよびださんならんし…担任の先生も難儀してはったワ(笑)。
いくら外見が変わってもね。校舎は…建設会社が建てるんやけど、学校は「中にいてる人」やねんな。中の人間が仲よう楽しゅう作らなあかん。家とか建物あっても家族にはならんのや。本当は人事が一番大事で…建物なんか金かけても大したことあらへんねん。学校というのは、校舎も大切やけど一番の主人公は生徒やな。それと教職員。あんまり「校舎、校舎」言うてたら、ちょっと寂しいなぁ。
ボクらの時は同じ高校に長く勤める人が多かったんや。校長が「これや」と思う人物を連れてくる…気に入らなんだら辞めてもらう。せやけど今はどんどん変わるんや。もう、校長には人事権がないんやね。教育委員会が采配してる。多少は「置いといてくれ」いうたら効くらしいけど…。
ボクは58歳で定年前に辞めたンやけど…もう「いつ転勤させられるか?」いう状態やった。今は10年くらいを目途に勤務校を変えさせられる。そやからね、卒業生が大学出て会社でちょっと落ち着いて学校へ来ても…自分が習った「恩師」は、もう居てはらへんわな。別の学校になってしもてるンや。
学校には、えぇ生徒が集まって来るところとそうでないところがあるなぁ。ボクと一緒で阪大から北野に来た西田さんという先生が、やはり北野出身やったけど…いつも口にしてはった。「金さえかけたら立派な校舎はナンボでもできる。金さえかけたらえぇ先生も取ってくることができる。せやけど…いくら金かけても同窓会だけは作られへん」言うてね。
聞き手●近藤喜治(55期)、上田博唯(77期)、石倉秀敏(84期)、
島谷宏子(91期)、谷 卓司(98期)
収 録●Apr.5,1998
(豊中市服部本町のお宅にて)