阿部俊一先生
19歳で初めて小学校の教師になり、その後、女学校でも教鞭を取った。ところが、そうこうするうちに「書」の壁に行き詰まってしまったんやな。これ以上は頭打ちで…もう、どうにもならないという状態。それで考えた挙句「どうも、書道は小手先の技術やない…人間そのものや」ということに気付いた。その「人間」を作るにはどうしたらいいんか…。
これは自分にとっては大問題やった。ちょうどその頃、禊【みそぎ】というものに出会ったわけや。昭和15年…時代は満州事変から世界大戦が勃発しようとしていた矢先に、25歳の私は齢70いくつの二木謙三先生が主宰する「禊の鍛練会」に参加した。
この禊会で、私は初めて合気道を間近に見ることになった。二木先生が言わはった…「わが国にはこんな素晴しい武道がある。おまえたち若者はタガが緩んでおるが、私を投げ飛ばせる者がいれば前に出てこい」そう言うて、70なんぼの爺さんが道場の真ん中に座らはったわけや。私はその時、柔道3段。 「これを無視して放ったらかしたら失礼やで…行こか?」私は友達と示し合わせて、三方から同時にバーッとかかっていった。そしたら、どないして投げられたか見当もつかない。二木先生には触れることもできず、四方八方へ投げ飛ばされた。これが、かねてより念願の「合気道」との出会いやった。
聞き手●壽榮松正信(74期)、石倉秀敏(84期)、
谷 卓司(98期)、中西郁夫(101期)
収 録●Sep.18,1998
(吹田市元町の天之武産塾合氣道々場にて)
Mar.13,1998
(北野高校武道場にて)
協 力●佐伯新和(98期)