阿部俊一先生
植芝先生がウチにお泊まりいただいていた日には、努めて北野のクラブの生徒をウチに呼んで直に指導してもらえるようにしたんや。今、その頃に習ろた人がぼちぼち道場に帰ってきてくれている。
言葉ではなくて、稽古の中で伝えられていく何かがあって…それは、なかなか伝えられないものだけど、感性というか感覚というか…何か、研ぎ澄まされたものがあるんやな。
合気道では投げられても気持ちがいいんや。「俺は負けた」「悔しい」という殺伐としたものではなくて、「力」だけではない「何か」があるんだな…ということを感じることができる。
合気道をやった翌日は、元気で気持ちも晴れ晴れする。人間の生体メカニズムの中に秘められている何かが、合気道によって導き出されている…そういう感じやな。頭、頭、頭の世界とは違う…体の知、心のやすらぎとでも言うかな。
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そら、34年間も勤めた校舎やから…個人的には今の校舎はそのままで在って欲しいわな。あんな洒落た化粧レンガの学校なんて…もう今どこ探してもあれへんがな。建物は立派だし、中には長い伝統が刻み込まれている。なんで潰すんかなと思うで。
貧弱な校舎やったらナンボでも潰して、また建て直してもろたらええけど…あの立派な玄関を潰すだけでも惜しいわな。老朽化が激しいいうことやけど…ほんまに立て直さなあかんのか?修復して使うわけにはいかんのかな…残しておいてほしいな。
ただ…環境は大事やな。昔の、ぼろぼろの畳の汚い体育館と比べたら、見た目も広くてがっしりしてるし…やっぱり現在のほうが何となく「やろかー」という気も起きる。ものすごく清潔でね。
容れ物は替わっても心と魂は受け継がれるわけやから…それが大事なことなんや。ある生徒と一緒に帰った時、校門のところで校舎に礼して帰りよるねん。新しい校舎ができてもそういう帰りかたをして欲しいと思う。「これが自分の学舎(まなびや)なんや」…そういう誇りというか、感謝の気持ちが大事なんやな。
最後に北野の生徒に言うておきたいことは…たとえば十三の駅にはいろんな学校の生徒が通学に電車を利用してるわけやけど、北野の生徒だけは直感で分る。これも一種の「気」やな。そういう「北野らしさ」いうもんを皆が誇りとして持ってる…これは昔も今も同じや。そのことを日々忘れんといて欲しいな。
聞き手●壽榮松正信(74期)、石倉秀敏(84期)、
谷 卓司(98期)、中西郁夫(101期)
収 録●Sep.18,1998
(吹田市元町の天之武産塾合氣道々場にて)
Mar.13,1998
(北野高校武道場にて)
協 力●佐伯新和(98期)