それでは自分の身の回りはどういうふうに描くかと言いますと、例えば、自分のお父さんを描く。これは不思議なことに、自分よりも小さく描くわけです。自分の兄さんはどうか。これも自分より小さく描く。それから、例えばチョウチョが飛んでいる。これはでかく描く。何故かと言うと、子供の目にはチョウチョは美しく見える。美しく見えるということは印象が強いということで、でかく見えるわけです。
印象の強いものはでかく描く。それから、お日様。これは誰でも描くんですが、このように光った感じで描く。自分の家はどうか。自分の家はとっても入れない犬小屋くらい小さく描く。これは小さい子供には家の大きさの判断がつかないからです。このように「大きい/小さい」を混同して描きます。
それからもうひとつ、大袈裟に描くわけです。それと、形を変えて描く。あるいは、誇張して描く。こういう手法が小さい子供達には本能的にあります。小さい子供の絵というのは非常にマンガ的です。子供が一番最初にエンピツを持って描く絵というのは、非常にマンガ的なんです。
アトムのテレビ放送が始まった時に、どこかのオモチャ業者が4本まつげのオモチャを出したわけです。こちらが怒りましたらですね「これは手塚さんのアトムじゃあない。私の作ったアトムだからまつげが4本です。違う人間です。だから、オモチャを勝手に作ってもいいんです」と開き直っちゃった。
まあ、そんなこともありますが、大体、作家の作ったものといいますのは、パチッと特徴があればその作家の描いた作品だということになるんです。
『リボンの騎士』の「サファイア」にしても、こんな髪の毛をしている女の子なんておりません。これをアメリカへ持って行った時に「これは黒人の女か?」と言われました。こういう髪の毛をしている女性はむこうでは黒人に見るんです。そういうことがあって、髪の毛に特徴があると僕はみたんです。実際に、髪の毛がこう縮れてひっくり返っているのはない。こういうものが全部マンガの特徴として出てくるんです。