まえ 初めに戻る つぎ われら六稜人【第47回】「スタンダード・プラス・ワン」
     木簡の研究
    第4簡
    漢簡の研究


      大学の卒業論文は「漢帝国の成立過程」というものでした。漢という時代はその後の中国のあらゆる制度ができた時代なんで、漢をやろうと思ったわけです。これは思うようにはいかなかったのですけどね。昭和27年から始まった京大人文科学研究所の居延簡研究班に入れてもらいました。これから以後、漢簡、つまり漢代の木簡の研究に入ることになりました。

      実は今年2001年は木簡発掘100年なんですよ。1901年にスウェン・ヘディンとオーレル・スタインが発掘したんです。1898年が甲骨の発掘で、敦煌も20世紀の発掘。でも、古代史研究は20世紀の発掘から始まるのではない。宋代からの積み重ねがあって、清朝の考証学があって、その後のほうにいるのが王国維や羅振玉であるわけですからね。金石学(青銅器の銘文や石刻文を研究する分野)がずっと行われてきて、甲骨学や木簡学も金石学の範囲に入るいう人もおる。甲骨学や木簡学を独立させるのはそれは違うというわけ。かといって素材から言ったら、それぞれ違うんやし。ただ文献以外のドキュメントを使うことでは一緒ですが。
      ヨーロッパでも羊皮紙、パピルス、それから木簡があるんです。ローマにも木簡がありますよ。竹簡と木簡は一緒でね、ただ竹が産出できない地域があるからね。それから、竹のどっち側に書くかというと、内側に書くのです。外側に皮のついたままのが出てくることがある。竹を割って内側に書くとなると細いんです。それに比べて、木はどこにでもあるし、幅があるから使いやすいんですね。字の書きようも違いますね。

      初めての中国訪問1 
      初めての中国訪問

      木簡は今までに5万点が発掘されています。さっき言いました居延漢簡というのは、1930年ごろに中国の西の方で発掘された1万点以上の木簡で、戦争で手つかずになっていたのを、昭和27年から日本で研究を始めたんです。そのほとんど最初から研究会に参加していましたから、この分野では古い方になりますな。
      簡には法律が書いてある。それを資料にして、秦漢の法制を研究しました。これが僕の学位論文になりました。簡は肉筆ですから、そこから、使った文具や書体のことまでわかる。おもしろいものです。
      僕はいろんなことしてるんですが、今は木簡の研究に振り戻しているところです。中国で新しいことが次々に発見されてますが、たとえば木簡が出土したなら、その写真が出てきて、それを読み解いたものが出てきて、はじめて仕事ができる。そういう資料がまた出始めたからね。今まで3、4年出なかったから、何もしなかったけど。

      中国の場合は発掘されてから文献がでるまでが長くてね。出てから20年くらいとか。78年に中国に行ったとき、72年位に発掘されたものの整理してましたが、まだ文献になっていないです。功名争いいうこともありましてね、だれが出すかというね。これはいやです。フェアじゃない。討論会でこっちが推論を言うてても、向こうは新資料を知ってるかと思うとね。
      こういう研究をするには現物見ないといけない。まだ中国に行けなかったころですから、大英博物館にスタインのコレクション見に行きました。1972年、ケンブリッジに留学していた時です。これはよかったね。僕の折り返し点やね。それで焼き物に出会った。こんなもんあるかと、僕ら今まで西洋史を誰が何を教えてくれたんやと思いましたね。

       初めての中国訪問2
      焼き物いうのは欧米で中国輸出磁器(Chinese Export Porcelain)とか中国貿易磁器(China Trade Porcelain)とか言ってる物です。 中国から西洋に輸出したものだからこっち側には残ってないんで、それまで知らなかったわけですが、キリストが十字架に架かった姿を絵つけした皿が中国製と知って驚きました。 それがきっかけで調べていくと、西洋の人物や風景の絵柄の焼き物がたくさんある。西洋からの注文を受けるためのサンプル用の皿なんかも見つかった。17〜18世紀のこういう東西交流は、日本の世界史の授業では誰も教えてくれなかったことですね。

      やっぱり現物見んとあかんと思いますよ。昔の本には昔の人の指の温もりが残ってると言いますねん。たいてい、えーって言われますけどな。それに、たまに思わぬおまけが見つかることもある。書き込みやら、はさんであった紙が見つかったりね。これはデジタル資料だけでは出逢えないことです。


    つぎ Update : Nov.23,2001