同窓会総会(2000)後の懇親会にて |
私らの若い頃は、物心両面で飢餓状態だったけど、でもその時代でないと体験できないことを体験できたし、考え方によっては良き時代だったかも知れない。いまの若い人は物には恵まれているけど、案外「精神的飢餓かも」と思う時があります。でもやっぱり50年前に戻れるなら戻りたいわ(笑)。
自分の進路だって、たくさん選択肢があるもの。女だからって諦めんでもいいもんね。やりたいこと見つけたら、やれる可能性いっぱいあるもん。羨ましいですよ。いい加減な生き方してるんだったら、代わってもらいたいわね。
私はコピーライターという職業に20代後半にやっとめぐり合えたけど、言葉遊びが好きという自分を発見したんやね。日本語って面白い。言い回しとか、表現がじつに豊富でしょう。ちょっとした言い方でニュアンスが変わってきますよね。
しんどいけど面白い。めちゃくちゃ面白いの。適性があったんかなぁコピーライターとしての。つくづくそう思いますね。
北野の同窓会は、歴史が長いということは、そんだけ年代差があるということでしょ。これからは、若い人がどんどん中心になってやっていってもらわなあかんのですけどね。でも、若い人がやっているから人生の先輩は知らんていうんじゃなくて、若い人の発信する情報をやっぱり受け止めなあかんし、それを理解しようという気持を持たなあかんよね。
逆にね。若い人も「年寄りに言うたって分からへんで」って頭から決めつけんといて欲しいねん。古い文化をただ「古い」と無視しないで、近づいてみる。自分の前を行く人を、何年後、何十年後の自分と重ね合わせて見てほしいですね。
人生の先輩は若い人の文化をチャチャラしてると思わんと、知ろうと努める。たとえ理解できんでもね。私だって、今でも映画もよく見るし、若い子が見るようなテレビドラマもよく見てるし。やっぱり、そういうアンテナは錆びないように常に磨いておきたいし…。
そしたらだんだん隔たりも縮まって、話ができるようになれへんかなと思うの。まぁ、出来ることと出来ないことがあるけど、固定観念でものを見ないほうがいいわね。もっと柔軟に考えればいいと思う。ものの見かたも一面だけ見ずに、上から下から横から斜めから、いろんな角度から見たら、思いがけない発見があるかもしれませんよ。自分に対しても、ね。
「同窓会」に関しては私らも反省するところがあります。若い頃は、総会とか同窓会全体の縦の繋がりなんかにあんまり興味持たへんかったし、顔も出さへんかった。でも、やっぱり出て来たら何か理解するというか、得るもんがあるし。
例えば、同窓会館の募金活動にしたってそうでしょ。出て来て話聞いたら「ああ、そうなんか。そんなら自分もせなあかんやろな」という気持ちになってくる。総会に誘って引っ張ってきた人が、帰りしなにそう言うてはるの。「来て良かったわ」言うてね(笑)。来なかったらわからないですもんね。
同窓会はもちろん、単純に友人、知人と会ってしゃべる場であっていいわけ。その上、情報収集、情報交換の一つの場と考えたら、もっと楽しめますよ。まず出るということが大事。参加することに意義あり、ですよね。