まえ 初めに戻る つぎ われら六稜人【第40回】思えばコピーライターの走り
     
    千里生活研究室室長の頃
    第8章
    ホテルの仕事と仲代達矢さん



      しばらくフリーでやっていて、40代後半だったかな。「これからのデザインは女性の目が非常に大事や」ということで、社内に生活研究室を創設したデザイン事務所が千里にあって。非常に先見を持った所長さんだったわけですが、そこの室長になってくれんか…ということで引っ張られたんです。

      最盛期には500人ぐらいのモニターさんを抱えて、家電メーカーなんかに対して商品提案…「女性(とりわけ主婦)は今こういう商品を望んでますよ」みたいな提案をしていく仕事をしたんですね。
      女性スタッフが15人いたんですけど、正社員は少なくって、ほとんどがパートタイマー。「主婦の目」が必要で採用してますから、パートでないとなかなか家庭と両立できないんですよね。逆にそれが災いして「やれ子供が病気した」「今日は参観日です」とか言って、突然休みはるわけ。管理する側としては予定が全然狂ってしまってね。難しかったですよ。

      とうとう私も体を壊してしまって。1年の間に十二指腸潰瘍と胃潰瘍を2回もやって、吐血はするわ、えらいことになった。「これは私に向いてないな」と思って、ついに所長にお暇をもらいましたけど。所長の先見もちょっと時期尚早やったみたいで、この研究室はその後すぐ無くなりましたね。

      静養中に電通時代の同僚から、沖縄にできるホテルの話が持ち上がってね。宣伝以外にもホテルの中の印刷物って、ものすごく沢山あるんですよ。例えば客室1つとっても、便箋や封筒が必ず置いてあるでしょ。レストランにはメニューが要る…もう膨大な数になります。それを手伝って欲しいと言われてね。
      1月のことです。「7月6日にオープンするんや」と。「もう半年しかないねん」って言われて「そんな無茶な。1年は欲しい」言うたんですけども(笑)。無理矢理それに引きずり込まれて。そしたら、そこの社長から「フリーでやらんと中へ入ってやってくれ」言われてましてね。ルネッサンスリゾートオキナワという沖縄の一流ホテルですけども。このホテルのオープンから手がけて、それが済んだら今度は鳴門。いま、ルネッサンスリゾートナルトというホテルがありますけど、それもやって。それで、60歳になって定年を迎えました。

      そしたら今度は電通の下請けやったデザイン会社の社長から「うちへ来てくれへんか」と誘われて。自分でも「まだ辞めるのはちょっと早いんかな」と思って(笑)、そこへ行ってまた仕事して…。一昨年、64歳の現役コピーライターも流石に「もう、ええやろ」とね(笑)。


       
      沖縄ロケ〜休憩中の仲代さん夫妻

      ホテル会社に入った時がバブルの絶頂期で、親会社が不動産会社ですからね。「お金はナンボつぎ込んでもええ」って感じで(笑)。企業イメージのコマーシャルを作りたい。誰を起用しようかいう話になって、仲代達矢さんにお願いしたんです。
      候補はいっぱい挙がったけど、どうも軽いタレントばっかりだったんで…この企業広告にはもうちょっと品格のある人が欲しいと思ってたんです。たまたま電通のコピーライター仲間が「前の仕事で仲代さんと知り合いになった」というの聞いてね。「あっ、それ」と思って頼んで貰ったんですよ。
      大阪の、名もない不動産会社の広告に出てくれるかなと思ったけど、OKしてくれはってね。奥さんの宮崎恭子さんとも一緒に、沖縄縦走や島巡りをしたり…一緒に遊びました。

       
      能登演劇堂にて〜友人とともに仲代さんと

      石川県の能登中島に「能登演劇堂」という円形の舞台があります。能登中島町が「演劇の町」を目指して、町おこしの一環で作ったもので、背後が外に抜けていて…ほんとの松林を借景にした面白い舞台です。仲代さんがそのプロデュースをしててね。奥さんがお亡くなりになって1年目の追悼公演の時に呼んでくれはったんです。そういうお付き合いが今も続いてます。いいでしょ(笑)。外見どおりの誠実な方です。大阪にお芝居で来はった時には必ず観に行きます(笑)。


    Update : Mar.23,2001