映画史における金字塔『市民ケーン』は 新聞王ランドルフ・ハーストをモデルに オーソン・ウェルズが25歳の若さで発表 した処女作である。 (出典:American Experience/PBS) |
新聞記者になりたいと思ったのは、子供のころからです。子供向きの偉人伝がありますね、ワシントンとかリンカーン、フーバーとか。それでアメリカの新聞王ハーストの伝記を読んでました。それと新聞読むのが好きでしたね。小学校の時もしょっちゅう新聞のことを言っていたと同級生が言うんです。新聞の論評をしとったんですかね(笑)。それでも、途中で軍人になろうと思うんですね。あの時代ですから。軍国少年ですよ。ところが軍隊はなくなりましたから、最初に戻って、ということでしょうかね。
今はそんなんないですけど、昔は新聞社にも身分制があって、同じ大卒でも、朝日は練習生といいましたが、毎日は見習生いうのを大阪の編集局で10人採ったんです。で、それ以外の人たちは雇員ということで、見習生は3ヶ月で社員になるんですが、雇員は1年ぐらいかかるんですよ。これは差別やいうことで何年後かに組合の要求でなくなりました。それでみんな試用社員いうことになったんです。私のときはまだ見習生だったんですが、その10人のうち3人が北野でした。雇員で入ったのにも徳岡君ともう一人いましたね。営業にも見習生がいまして、6、7人のうち1人が北野中学でしたね。朝日も同じようだったでしょうね。
読売が大阪で出たのが27年の11月でしたかね。私が仕事始めて1ヶ月後でした。読売は朝刊だけ出して月130円でね、半分ほどの値段ですからね、それで伸びたんです。僕は大阪社会部に配属されて10年ほどいました。その間に笹部新太郎さんとも知り合って…。それから『サンデー毎日』に行きました。