まえ 初めに戻る つぎ われら六稜人【第45回】「養生こそ至上の処方なり」
     きのこの写真
    第3診察室
    漢方との出会い




      とりあえず大学に入ったけれど、その時には、漢方のことは考えていなかった。その頃はね。年齢的なもんでしょうね。結局、今言うたら人間とは何かとか、社会はどうなってんだとか、人生とは何かとか、いかに生きるべきかとかこんなことですね、あの頃は、要するに、哲学せないかんというようなそういう気持ちですよ。だから、一年ワンゲルで山の中を歩いていたんです、一年山の中を歩いてね。なぜ山の中一年歩いたかと言うと、当時のワンゲルの部長いうのがね、何か正に山の中を歩いたら人生わかるようなこと言うたわけですな。それでワンゲルで一年歩いてみよう。一年歩いたけども一切わからない。それで結局ね新人歓迎から次の新人歓迎まで丁度一年あってね、その一年やって辞めたんです。そんなことようしていたんですよ。
      次は生物研究部に入ってねイモリの解剖とかね、イモリの飼育とか六甲山の上の池に一杯おったんですよ。当時イモリがうじゃうじゃおったんですよ、六甲山行ったらなんぼでも取れるわ言うて、それ取ってきては水槽で飼って、いろいろしていたんです。

      漢方の方に興味持ったのは、医者になってからですわ、子供の時に漢方薬を自分で買って飲んでいたこともあるんです。それは一時的な中学校時代ですよ、自分の興味でね。それはあんまり直接的には関係ないです。しょっちゅう風邪引くからね、風邪引かぬような漢方薬ないか言うてね。漢方薬屋へ行って自分で買うてきたりね。
      漢方というのは元々中国の神さんですよ、神農さんと言うのは。いろいろな経験が積み重なっていくんですね、強心剤のジギタリスいうのもね、元々ジギタリスいうのは西洋医学の薬やけど葉っぱの形が、心臓の形に近いと、効くんじやないかいうて、色からの連想とか、形からの連想ですね、昔は結構あったみたいです。たいていは当たらへんけどもね。それは一杯組み合わしてやっていたんと違います、漢方薬の生薬の組み合わせてやっていたんちがいます。漢方薬の生薬の組み合わせでもわかりませんよ、何でこんな組み合わせになったのか。
      普通、薬って調合されて出ますよね、だけど漢方は同じ病気でも人によって調合する度合いどが違う。いわゆるさじ加減いうのは漢方の言葉ですけどもね、だけど私らは今もうできません。やろうとしてできんことないけどね、生薬その物をずっと保管するいうことは大変なんです。できるけども常にいい乾燥状態で、カビ生えたりようするからね。僕らがやっている漢方というのは、コーヒーでいうたらインスタントコーヒーのようなものです。
      一時、僕も生薬を使いましたけどね勉強の時はね、だけどほんまのことはもう現実的じゃない思いましたけども、ようするに会社の釜で一遍にたくさん煎じてあるわけ。コーヒーと同じで、それで乾燥さしてね、インスタントコーヒーになっているでしょう、あういう漢方薬ですけどね。
      よう時代劇でこう刻んでいるでしょう。徳川家康は自分でつくるのが好きやったいうからね、自分でいろいろ混ぜていたんですよ。ある意味毒もあるんですよね、誰かの薬で毒が入っているのをわからずに飲むとやられたとかそういう用心があるから。昔はめちゃくちゃですよ、不老不死の薬というて水銀飲んだりしていたからね。しゃない時代もありますよね。



    つぎ Update : Aug.23,2001