大学校には3つ科がありまして、電子科はメカ、情報科は航空会社から送られてくる情報を管理する部門、そして管制科は管制官になるところです。全寮制で不安はあったんですけど、入ったらすごく楽しくて、もう北海道から鹿児島まで色んな所から集まってました。
管制科の同期は37人もいましたけど、みんな管制官になるっていう、はっきりした展望を持って入ってきてますから頑張るし、休む奴なんかいなかったです。授業は真面目に聞くし、寮でも自習してました。みんな好きでやってるからすごい熱心でしたね。プライベートでは遊んだり悪さもしたりしましたけど、学校では本当に勉強してました。普通の大学ではこうはいかないんじゃないかな。
一年の時は一般教養で法学、哲学、数学、英語なんかがあり、最後に航空無線通信士の試験を受けます。 二年になると前半は航法、ナビゲーション、気象、無線、法律など基本的にはパイロットに要求されるのと同じですね。航空機の特性とか見学にいって中見せてもらったり、この羽はなんの為にあるのやとかね。それで後半は毎日実習になるんです。
飛行場の実習はシミュレータでやります。管制塔のガラスの箱みたいなのと、豆電球が何千個もついたものがあるんですね。それが順番に点いていくのを飛行機に見立てて、管制官役が「cleared for take off」とか言うんです。豆電球操作と、パイロットの声は同期の奴等がするんです。交代で訓練するわけです。レーダーの実習は現場と同じ機械でやります。
最初のうちは2機や3機でいいんですけど、日に日に多くなってきて、これが結構残酷な場に変わっていくんです。皆がへたくそだったらいいんですけど、うまい奴もいるし、そんな中でその人の限界が皆の前で見えちゃうんです。キャパシティーとか、フレキシビリティーとかね。表情見てるとわかるんです。ああこの人だんだん目茶苦茶なってきて、この人駄目やなって、解るんですね。
いくらシミュレータとはいえ顔がカッーと赤くなって、手がわなわなして、声が震えてぐちゃぐちゃになっちゃって、しまいに飛行機どうしが衝突しちゃうんです。だから女性の管制官の卵で気の弱い子は、そういう事があると後で泣いてたみたいですね。
でも段々女性が増えてきてます。昭和55年までは男の職場だったんですけど、同期では17人女性でした。
公務員として既に雇われている身ですから首にはされないですけど、向いていないと言って辞めたり別の職種に変わる人もいます。あまりにも出来ないのに、辞める意思の無い人はずっと訓練生でいますね。現場に出てから、こいつは駄目だということになると、訓練を終わらせてもらえないんです。