菅南中では、ある程度の成績であれば北野を受験するのが普通でしたから…とくに悩むこともなく、取り敢えず受けてみたら通っちゃった…というのが実際です。家から中学まで歩ける距離でしたので、高校は電車通学したい…という気持ちもありました。
北野高校も「一歩間違えば歓楽街」という…きわめて教育的環境の良くないところに立地していましたが、私としては…(東通商店街の環境に慣れ親しんでいましたので)…全然、抵抗はありませんでした。
当たり前のことなんですが…全員が中学でトップの人が集まるワケですからね。北野に来て初めて、自分より勉強のよくできる人がいるということに気がつく。これが結構ショックなんですよね。そして、北野でトップになるような人には、どんなに努力をしても追いつけないという現実にも直面する。ある種、努力のむなしさを知ってしまう。そこでプツリと切れてしまう人もいますよね。
私もその例にもれず、勉強は余り出来ませんでしたけれど…先輩に強引に勧誘されて手を染めることになった自治会活動の所為で…人前に出て話をしたりする機会もできたし、人を取りまとめたりする仕事をする羽目にもなったのです。
顧問の先生がご存知、阿部先生で…印象が大きかったですね。つねに掴みどころのない先生で(笑)…キャラクターも技も…結局、最後まで分からなかったですヨ。ちょっと、人間を超越をしているところがありました。何でこんな人が高校の先生やってんだろう、って…何度思ったことか。天照大神を拝まされたこともありました。
そんな合気道部でですね…先輩が突然「生徒自治会の会長に出馬する」と言い出したンです。私は1年生の後期の頃でした。ちょうどそれまで学園紛争などで停止していた自治会を復活させるんだ、と言って。ご存知のように北野の生徒会選挙はグループで立候補するものでしたから…ついては書記がいないので「八木。お前、書記をやれ」と。
「勉強もでけへんのに何で私がそんなことせなアカンのんかな」とは思いながらも…(体育会系って、先輩に逆らえないところがあるじゃないですか)…断りきれなかったンですね。「合気道部から2人も役員を出してみろ、予算的にもうまくいくから」先輩のその言葉にも唆されて…結局、私は1年生で唯ひとり生徒会の執行部に入らされたワケです。
こういうシガラミ系の活動って…1回入ったらなかなか抜け出せないじゃないですか(笑)。それに私はどうも「ヒトにものを頼まれたら断りきれない」性格なんですね。まったくの人数合わせで「あなたさえ入ってくれれば何とかなる」と言われて…アマチュアバンドにも参加したりしていました。
そんなこんなで…「断りきれない性格」と当時の自治会には有名な人が大勢いたので、その人たちに引っ張られる形で…いわば自分の意志とは関係ないところで、どうも結果的に目立つ存在ではあったかも知れません。
十三駅で痴漢を捕まえた時も…その人があんまりひつこかったので「やめてください」と言って手を掴んだだけなんですが…ホントですよ!…それが、話に尾ひれがついて「合気道ではり倒した」とか「投げ飛ばしたンだ」とか、一部で大変な話題になってたようです(笑)。
自治会活動と合気道部と…それが私の北野時代の思い出でしょうか。
クラブには阿部先生の魅力(?!)に取り憑かれるのか…書道選択者が多かったですけど、左利きにとっては難しいということもあって、私は音楽を選択していました。とりたてて音楽が好きだから…というワケでもなく、ましてやそれを職業に選ぶとは…当時は夢にも思っていませんでした。