(編) 大手前に入られた時はまさか途中でこういうことがあるとは思われなかったでしょ。 堤
家族も小学校の頃から大手前、大手前って思てましたでしょ。北野は男子校で全然違うし。青木
それは嫌やったわねえ。女学校の中で何度も討論会しましたわよ。時期尚早や言うて。でも命令一下、否応無しで。討論会もセレモニーいう感じで…線引くように分けられてね。(編) いつごろ分けると聞かされたのですか。 田村
そら間際でしたね。もう学年も終わりの頃に否応無しでした。堤 もうぎりぎり。心の準備も何も無かったわけです。 田村 私、塚口から通ってたのに、大手前に残れるかと思ってわざわざ北区に寄留したんですよ。でも駄目やった。北区は男子は大手前に行かされて女子は北野だったの。 堤 兄妹で北野と大手前と入れ替わりになってしまった人がいたわねえ。 斎藤
だからね。男子で大手前に行かれた方はもっと憤慨していると思うわ。「女の学校へやられた」というのでね。青木 泣きましたよ。何度も大手前見に行ったわ。 斎藤 学園祭を見に行ってね。なんか楽しそうにしているの見たら、また涙出たわね。 堤 何か「他所者が来たぞ」という雰囲気でしたからね。歓迎されていなかったという雰囲気で。「大手前に帰りたい」と泣いてばかりいましたよ。府庁にも行ったことあるんです。直談判でね。北野の浜田校長が府の教育長も兼任してはったから…会うてくれはったけど「君らそんなこと言うたらアカン」とえらい怒られたね。「よっしゃ、よっしゃ」言うてくれはると思てたのにね。 青木 私も家に帰ったらよう泣いてたんですて。でもね。父がたまたま北野中学で…子供が女ばっかりだったので、まさか自分の娘が母校に行けるやなんて思てないでしょ。だからすごく喜んでたの。私は複雑な気持ちでしたね。 北村
私バレー部でね。受け持ちの先生が事務室にお呼びになって「あなたバレー部の選手だから、もし残りたかったら大手前に残れますよ」て言うてくれはったのね。斎藤 戦力やったからやないの。 北村 それで考えたんですけど「友達がみな十三で降りはんのに、私だけ十三で降りないの嫌ですわ。北野へ行きます」と言いました。 堤 バスケットもありましたよ。先生が「残りたいんやったら残れるけど」て。「森小路に寄留したら大手前に残れる」とまで言うてはったわよ。でも、大手前もいいけど北野にも興味あったし、同じ小学校でた女子は全て北野に行くわけでしょ。自分だけ残るのもなんやしねえ。 斎藤 それにね。野球部が選抜に出はったでしょ。だから…北野に行く前から応援に行ったわね。もう行くことは決まってたんですけど。 堤 興味がものすごくあったわね。どんな学校かと思って。あんな牢獄みたいな学校と思てへんかったし。ガラスは割れてるし。 斎藤 重たい机でね、そこに一杯彫り物がしてあるのよ。「三高突破」「一高突破」て。 青木 大手前がね…前が大阪城で横が府庁だつたでしょ。それがここへ来たら何か汚らしい所を通ってね。環境が全然変わってしまいましたね。 田村 そうそう。独りで行くのが嫌でね。十三で待ち合わせして行きましたよ。 北村 待ち合わせしてね。途中にややこしいところあるしね。 堤 ここはあんまり通らんようにとか。指導もあったね。 (編) 治安状態は悪かったんですか。 斎藤 そんなことは無かったのよ。学校の裏出たら公園みたいになっていて何にも無かったの。私は塚本から通ってたんですけど、駅を降りたら学校が見えてましたから。畑の間を縫って学校に来てましたの。だから何年か前に塚本から学校に行こうと思って来たら学校が見えないでしょ。それで道が分からなくなりました。 堤 十三からも見えましたものねえ。焼けてたからねえ。 斎藤 お店も少ないし。畑や焼けてしまったお家もあったしね。淀川に霧がかかると前歩く人が見えない位でしたね。でも、なんといっても学校生活で一番深刻だったのはトイレよね。 堤 職員トイレしか女性用のが無かったから…。並んだわよね。 青木 しばらく経ってから簡易トイレが運動部の部室長屋(ながや)の奥にできましたけど…一人では行けないのよね。 田村 休み時間になると「トイレ行かない?」て誘ってね。部室の前に男の子が鉄橋みたいにいててねえ。行きにくかったわ。前通ったら御手洗いに行くの分かってるからねえ。