われら六稜人【第24回】医療NGOから見たコソボ
    第2章
    州都プリスチナを経てペア市へ

    どこまでも続く
    ひまわり畑は
    平和そのもの。
    ここが民族の
    紛争地帯とは
    思えない…


      国境へ迎えに来てくれたのは、ペア市にあるMeRUの現地事務所の管理者…なんと25歳…の若いマキさんと、これまた若い看護婦で医療担当のチーフの29歳の晴美さん。そして、MeRUが現地で雇っているトニーというアルバニア人の運転手兼通訳と彼のおじさんの4人でした。古いトヨタの4WDとトニーの乗用車に分乗してペアに向けて出発。信州を思わせる高原の幹線道路を穴ぼこに用心しながらペアに向けて走る。周囲の風景はのどかな丘陵地帯で、牧草地には牛、馬、羊の放牧が見られ、トウモロコシ畑、ひまわり畑が点在しています。ひまわり畑のみごとな黄色の絨毯には思わず感激の声がでました。ただ、散在する農家の家は、屋根がなく、燃やされた跡があり、一軒一軒破壊されているのが見られました。また、道路際には燃えた車の残骸が野ざらしになっていたり、北へ進に従って無残に壊された家が目立ちます。途中、橋が壊されたところではKFORの検問があり、大きく迂回させられました。

      約1時間走ったところでコソボ州第一の都市、プリスチナに到着。ここにはNATO、WHO、UNHCR(国連高等弁務官事務所)などの本部が置かれ、臨時政府の中心地となっています。また、各国から来ている多くのNGOの本部も置かれています。コソボ唯一の大学、大学病院などもある街ですが、現在はまだその機能は回復していないようです。後に見るペア市と比べると建物の破壊状態は比較的軽微でした。ただ、街に立ち並ぶマンションや住宅にまるできのこのように衛星放送の丸いアンテナが突き出ているのに驚きました。セルビア人支配が始まってから、自国の報道が信用できず、衛星放送で主にドイツの放送を聞くために衛星受信設備を整えたということでした。

      ちなみに、NATO軍は、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、ロシア、イギリス、カナダなどからなり、KFORとして駐留しています。アメリカ軍はちょっと引いたかたちで、ヨーロッパの国が中心に活動しているとのこと。また、ロシアとフランスは親セルビアと見られて、アルバニア人の人気はないということも聞きました。後に知ることになるのですが、ロシア軍の管轄地域では、住民が嫌って毎日デモがあり、発砲騒ぎが起きているようでした。アルバニアの歴史との関係、コソボ解放軍(ウチャカ)との関係など微妙な問題があるようです。

       
      さて、プリスチナを後にして、約2時間、ペア市への道すがら目にする建物の破壊は北へ行くほど激しく、殆どの家が破壊され、燃やされていました。散在する農家もひとつひとつていねいにと言えるほど、破壊されている状況に民族対立の執念のすごさを感じさせられました。モスクの破壊も徹底的です。

      ペア市に到着し、80%以上破壊されている街の中心に近い所に、破壊をまぬがれたNIKIさんの家で旅装を解き、ほっと一息。

      このNIKIさんという英語の話せる娘さんの家の二階部分をMeRUが借り上げて、事務所兼宿舎として利用しており、シャワー、トイレもあり、寝室が3部屋、その他に事務所として、食堂として使用する比較的広い部屋があり、結構な下宿屋といったところでした。
      夜にはNIKIさんの母親の手になるアルバニアの家庭料理が提供されます。予想以上に快適な下宿でした。ここで、10日間という短い間でしたが、4人の女性と50代のおっさん二人の共同生活となりました。


    Update : Sep.23,1999