それからは…新劇が抱えている共通の問題なんですけど…生活の問題と舞台の問題、マスコミの仕事と舞台との兼ね合いとか…いろんな矛盾点を抱えながらやってきたわけですけど…それに疑問を感じて、ついに自分の劇団「櫂」を結成するにいたる。青年座にいる間に感じた矛盾とか、そういうものは出来ればひとつでも解消したくてね。ボクにとっての劇団づくりは、芝居をやるための手段というよりも、むしろ共同体づくり…運命共同体を目指してる要素が基本的に大きかった。どういう集団が作れるか、ということに割と比重がかかっていた。「櫂」という名前も…ま〜どうしても山よりは海に執着がありましたから…皆で何が良いかいろいろ考えて、結論として皆で一緒に漕ぐ…というイメージの「櫂」になった。
今までは普通あたり前に、疑われずにやってきたシステムとか方法論とか…常識みたいになっていた因襲をですね…ウチでは随分とそうじゃなくしています。たとえば、ボクが昔いた劇団では…(というか、そこだけに限ったハナシではないんですけど)…“新劇タイム”というのがあるんですよ。あったんですね、かつては。
つまりね「10時開始」というと、決まって11時にならないと始まらないんです。非常にルーズでね、時間の設定なんて「あって、無い」ようなものだった。終わる時間もハッキリしない。だからみんな困るわけですよ、生活があるわけですからね。何時から何時まで…その後で人と会う約束なんて入れられたものじゃない。
朝10時といって11時から始まり…夜10時くらいまで平気でやるワケです。どう考えたってですね、人間の緊張が12時間も持続するワケがないんです、そんなものは。無茶苦茶なんですよ。だからですね…非常に密度の薄い、散漫な稽古をダラダラ、ダラダラとやってんです。世間はですね、そういうふうには動いてないですよ。まず、それをね…ボクはそうじゃなくやれるだろうと思って。
ウチはそういう意味ではものすごく正確ですよ。始まる時間と終わる時間が非常にハッキリしてるから…「5時まで」って組めば稽古の途中でも5時で終わりますから、その後の予定がキチっと組める。それからウチの場合は「10時開始」と言ったら集合はだいたい30分前。15分前には全員出席を取りますから…15分前に来ていないと遅刻になります。そういうこと一つ取ってみましても、「体質」というのは変えるのがなかなか大変なことだったんですよ。今は、ウチでは普通になりましたけども。
たとえば一枚一枚切符を売って舞台公演をやる時にですね、友人とか知り合いに切符を渡して「買ってください」というのは…当然、公演間近になってから動きたいワケですよ。ところが間近になるほど徹夜稽古みたいになりますから…動きが取れないワケですね。渡せる時間も無い、みたいな。ならば、正確に開始すればいいじゃないか…ということと、テンションの問題ですよね…どうして10時間かかるものを5時間でやれないか…できるワケですよ。
そんなことが…「新劇」と言いながら、ちっとも新しくなくって非常に古い体質でしたね。ボクたちはよく冗談で「旧劇」だって言ってましたがね(笑)。
築地でスタートした「新劇」の歴史そのものはですね…言ってみれば、それまでの歌舞伎を中心にした旧劇に対する「新」であって、それが50年も経ちますと「新劇」自体がもう「旧」になっちゃってるワケなんですよ。非常に保守的な、ね。そこを…芸術の表現の問題も含めて「旧」に対して出てきましたのが、例の小劇場運動ですよ。非常に保守的なものが厳然と立っていたから、あぁいう優れた小劇団がたくさん出てきた…そういう意味では「新劇」の功績はあると思うんですけどね(笑)。「お父さんたちが偉かったから、子供たちが反乱を起こして頑張った」ということだと思うんですけども。
ちょうどその端境期にいたような世代としては、非常に多くの疑問を感じまして…それは内部にいたら変えられないですよね。で、自分で作ろうかな…ということだったんですけどね。