少年の恋は淡く切なく
ま、この話はあんまりしたくないけども、心に秘めておきたいけドね…。
大阪のキタに花屋という…それは有名な旅館があった。何しろ宮サマが泊まるンだからね。その花屋の娘が同級生だった。壺井妙子。
僕はその子が好きでね。何となく…子供心の淡い恋とでもいうのかな。朝、机を開けますとね、ババリヤの鉛筆(ドイツ製)とか何だか…いいものがチョッと入ってる。彼女のプレゼントがね。
周りのみんなが「嫁さんになるんダ」とか、いろんなコト言ったけどね。ついに嫁さんにはならなかったナ。
●●の女子大は程度が低いンだけど(こんなこと言っちゃマズいよナ…)東京女子大へ行こうという(東京女子大はいうなれば女の帝大ですからね)、それで荻窪の早稲田の劇研へ通ってた…という女性とね、ついに交わって…それを嫁さんにして長く今日まで。だから、他の女は知りません!
君、いまちょっと「ウソだ」って顔したね(笑)。
でも…とにかく、壺井さんて方は奇麗な人でしたね。逢いたくてね。女房貰ってるのに時々…壺井妙子、どうしたかな。妙子さんは…なんてね。壺井さんに逢いたいばっかりに、学校がひけるとわざわざ堂島まで来て、花屋の前を行ったり来たり…きっと一遍くらい逢うだろう、と思ってね。そしたら…逢いましたね。一遍だけ。浴衣着てましたから、夏でしたかね。向こうは知らん顔してましたがね。分からないから。
そして終戦になって満州から追い出されて、引き揚げ船で帰ってきて、NHKに帰りましたけど。まだ、逢いたいンだよね。ウチの女房が一番嫌がるのは壺井さんの話。面白くないよね、女として。でも「アンタより前の女だからね…しょうがない」
で、結局ある日、私の親戚の娘が
「壺井さんの居るトコロ、分かったワよ」
「え?ドコだ?!」
「結婚してね…結婚がうまく行かなくってね、住友の寮母さんになって…」
そこに逢いに行きましたよ。立派な戸をガラガラと開けてね…
「壺井さんいらっしゃいますでしょうか」
そしたら彼女がスッと出てきて…もう血がサァーと上がちゃってね。びっしり汗かいて。
「ボクの顔見て思い出さないですか?…ボク、森繁です」
「分かってます」
そう言うンだよね。で、あんまりモノを言わないんだ。
「どこへご連絡したらいいですか。」
そして名刺くれ、失礼します…て言って、そいでスグ帰ってきちゃった。そういうとこは忘れられないね。
宇治の大きな問屋にお嫁に行って、それを失敗して帰ってきて、住友の寮に居た…。それからいろんなコトが起りましたけども…それはココではチョット申し上げません。
え?また別の機会に【補講】をしろって?
しようがねぇなぁ(笑)。
でもね、妙子さんの歌を作りましたよ。大島の歌にしてね。
タエは奇麗な女だった。
花のかんざしを見たよ…
そして2番が、
少し大きくなって
色気付いてきて
「好きだった」
そしたら向こうも
好きだと言う…
3番は、
タエはどっかに
お嫁に行ってしまった、
俺はひとりで船を漕ぐ…
…そういう3番。
スグ話の終りになってマズイけども…この間ね、また壺井さんに逢いたくなって電話したら、どうしても連絡が取れない。おかしいな、ちょっと…
で、弟子を西宮へ行かしたら「亡くなりました」
僕はガックリきてね。スグ前がお寺だったんだけども「よく来られてました」って…オッさん(和尚さん)とも話をして、拝んでもらって…それっきりですけどもね。壺井妙子さん…少年の日の恋ですね。いい人だったな、あの人は。