しばらく両親には内緒にしてました。何しろ「北野に入ったのだから、勉強だけすればよい」というのが親の切なる願いだったからね。でも、さすがに1年の終わり頃には親父にバレてね。家を出るときは「ハイキング」で誤魔化してたんだけど、帰りには怪我を隠しながら…それでも親父は医者でしたから、週に2本くらいペニシリンを打って、化膿止めをしてくれたもんだ。
おふくろにバレたのが3年生の1学期を終わる頃。洗濯なんかも看護婦に洗ってもらってたから隠し通せるか…とも思ったんだけどナ。担任の伏谷先生が懇談の時にバラしちゃった。岡島先生や田上先生なんかは、ずっと黙っててくれたんだけどね。まぁ、その頃にはチームは近畿大会などで勝っていたし、常にベスト8には入っていたからバレるのも時間の問題ではあったんだけど…。
12月の25日頃に恒例の天高戦があってね。これが宿命の対決で…どういう訳だか、皆、目の色をかえて戦った。何しろOBが熱心に取り組んでたから…。俺は急造の1年生フルバックで、先輩にシゴかれるは…その時ばかりは大変しんどい思いをしたよ。脱落する者もたくさんいたけれど…大概、それを乗り切った者は最後まで続くものなんだな。
結局、俺個人としては1勝2敗。1年、2年と負け続け、3年で何とか勝つことができた。勝利の盾を持ち帰って、肉をたらふく食わせてもらったよ。今となってはよき思い出のひとつだね。とにかく、洛北高校や神戸高校との定期戦とはムードがまるで違う。天高戦といえば一種のお祭り騒ぎで…大勢の生徒が応援に行ったものなんだ。近頃の北野は天王寺に対して弱すぎるよ、残念ながらね。
↑戦前から続く「天高戦」