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そうこうするうちに「暇にしてるんなら、仕事をしないか」という編集者仲間の誘いがあって、フリーライターをやり始めたんです。まあ、知りあいには経済関係の記事の関係者が多かったので、そういう仕事が多かったですね。あとは畑違いですが、科学雑誌もやりました。それから夕刊紙や、一般週刊誌の仕事もしました。
村上春樹が小説の中で、「フリーライターは文化の雪かき仕事である」、と書いていますが、まさにそんな感じで、ほんとうに力仕事なんですね。誰だって、文化的な暮らしがしたい。新しい情報に敏感でいたい。けれども、ほんとうの文化や、オリジナルの情報に接することは、それなりに力を消耗しますから。そこでフリーライターが登場して、有無をいわせぬような荒っぽい雪かきをするわけです。確かにこれは力仕事で、疲れるわけですが、やればやるだけお金にはなる。仕事を選ばず、原則として注文を断らなければ、お金は儲かるでしょうね。でも、それでひと財産築こうなどというつもりでは最初からないし、とにかく仕事があればやりましょうということで、スタートしたわけです。
香港にて 北京製の二胡を手に |
東マレーシアのサラワク州で ビダユ族に聞いたポンテイアナ という妖怪。女の姿をしていて、 髪と爪が長く、鶏のように けたたましく鳴く。 |
昔は日本でもそんな感じでお化けや妖怪が語られていたのでしょう。最近では日本のお化けの話なんて、全くあやふやで雲を掴むようなことが多いんですね。私は霊感があったから見えたり、感じたりとか。僕はそういう話は基本的に信じません。お化けはそう簡単に目に見えるものではありませんし、いわゆる霊感もたいていは錯覚で、そう簡単にあちらこちらの普通の人の身に備わっているものでもありません。
サラワク州で、先住民族ではないマレー人に聞いた、 おなじくポンテイアナという名の妖怪。黒目のところが 赤い目玉だけの体で、涙を流して夜空を飛び回る。 |
お化けの話というのは信じる人もいれば信じない人もいます。信じるにしろ、信じないにしろ、語る人は、まあ、こういう見解もあるんだが、という鷹揚な態度で語るわけじゃない。お化け、ことに妖怪や精霊、妖精などの話は、その人の世界観、あるいは宇宙観と密接につながっています。
幽霊や鬼の話も、ほんとうはそうなんですが、ただ人が死んでなるお化けは、死の恐怖をまだ強くひきずっているので、宇宙観そのものは見えにくい。そうした世界観、宇宙観は当然ながら、それを語る一人の人の頭のなかで組み立てられたものではありません。その人が帰属する文化、社会のなかで、実に多くの人たちの手を経て、膨大な時間をかけて築かれてきたものなんですね。それはやっぱり絶対的な世界としてとらえられているから、語り口は自然と熱ぽくなる。
僕は非常に不思議な感じがして、最初はふうん、そんなものか、彼らの見えない世界のとらえ方はそんなものかなどと、まあいえば文化人類学的な、あるいは比較文化的な関心っていうか、そんなところから興味を持っていったんです。しかし、そういうのは実はとても偉そうな態度であって、お化けはこれもあればあれもある、という世界じゃないわけです。
文化人類学や、比較文化という近代の学問体系は、あらゆるものごとを相対的にとらえて、そのことで心ひろく再評価しようとしているかにみえますが、そうした学問がよりかかっている近代的な普遍的思惟は画然とあるわけです。僕はアジア各地で、さまざまな人たちから妖怪や精霊、妖精の話を聞いてゆくことによって、それまでは当然のように前提としていた、その近代的な思惟というものが、まったく仮初めに想定された、ひとつの虚構に過ぎなかったと思うようになったんです。
水木しげる氏とアジア妖怪旅行に出る クアラルンプールにて |