私の家は船場のど真ん中にあって、空襲で全部焼けたもんですから、中学校時代のアルバムや写真は1枚も残っていないのです。私は、偉い人間とも違いますし、小学校・中学校・高等学校・大学それから後も遊ぶことが大変好きで、勉強したり研究したりすることは、若いときは好きじゃなかったです。ですから、あまり勉強しませんでしたし、いい生徒じゃなかったと思うのです。ここでエピソードとか、素晴らしい言葉が浮かんでくれば良いのですが、本当のところあまりないです。ただ、私の一生に非常に大きな影響を与えたのは、やはり北野の教育です。ことに先生、友達との出会い。それは確かにありました。
水鳥喜平先生という方がおられて、あの先生に非常に可愛がっていただきました。それで、英語が好きになって、その後私が学者になってから外国に永いこと過ごし、今でもいろんなところに呼ばれて行ったり学会で講演したりするとき…ご承知のように日本の学者は英語というものはあまり得意じゃない人が多い、私も含めてそうですが…水鳥先生のお陰で非常に英語を鍛えていただいたのが役立ちました。
「さすが早石さんは英語が巧いですな。やはりアメリカで生まれた人は違いますな」と言う人がいますが、私は生まれて8ヶ月くらいでドイツに行っているので、必ずしもアメリカで生まれたからといって英語が巧いということにはならないのです。やはり水鳥先生のお陰だと思っています。それも言語学としての英語ということではなく、むしろ会話だったです。パーカーさんというネイティブの先生がおられたのですが、水鳥先生と割と仲が良くて、よく話しておられました。一緒にパーカーさんのところへ行って、いろいろ話をした記憶もあります。
ご承知でしょうけど、水鳥先生は非常に木訥【ぼくとつ】なお人柄の登山家で、学生を大変可愛がる人でした。私なんか学生時分には随分と嫌味を言ったり、難題を言ったり、先生の解釈は間違っていると指摘したりしたこともありました。しかし、先生はその時、嫌な顔ひとつしなかった。むしろ、そういうのを非常に奨励された。あれは非常に偉かったと思います。
中学生の頃は生意気ですからね…得意になって先生の荒探しをやって、すぐに手を挙げては「先生、それはこうと違いますか!」と。すると水鳥先生はちょっと考えて「そういう解釈もあるな」と言われ、非常に柔軟で受容的でした。だから私は後年、自分が教師の立場になってからも水鳥先生のような先生になりたいと努めてきたのです。
ものをただ単に詰め込んで覚えさせるだけでなくて、先生の場合だと英語に興味を持たせる。学生に如何にして興味を持たせるかというのが大事なのであって…百科事典みたいに知識をダーと教えて、ノートを取らせて、どれだけ覚えているか試験する…という、いわゆる日本の秀才コースの教育法ではなく、英語なら英語、その科目に如何に興味を持たせるか。
そうすると1時間がいつか知らぬ間に終了しているという、非常に楽しい講義をされていました。私はそれは鮮明に覚えています。まあ、北野には他にも…大変立派な先生ばかりでしたけどね。だいたい「立派な先生」というのは詰め込み型が多かったですよ。
この10月にドイツの学会でちょっとした賞を貰ったのですが、そういう時も水鳥先生はいち早く「新聞に出ていたから…」と言って、すぐにお祝いのお手紙を下さいました。恩師というのもは有りがたいものだと大変感激しましたね。
アメリカでも、エール大学のミルトン・ウィンターニッツ(Milton Winternitz)先生の有名な言葉に「 Teachers should not give instructions to students . If the students are inspired to think learning would follow. 」があるのです。「先生というのは、学生にアアセイコウセイというのじゃない。学生をインスパイアし感銘を与えて、自分で勉強したいと思ったら、自ずと勉強する」ということでしょうか。
アメリカの医学教育で必ず出てくる言葉ですが、私はこのウィンターニッツ先生には随分世話になったのです。大変立派な先生で、私がNIH(National Institute of Health=米国国立健康研究所)の部長をしているときに、私のところへ、何の挨拶もせずにポッと入ってきて「自分はウィンターニッツだ」と言われる。これは偉い人が来た…というので、私は慌てて自分の座っているイスを差し出して小さいイスに座ろうとすると「いやいや、そんなことせんでもよろしい。君がそこに座っておれ」そう言って、どうしても大きなイスには座ってくれません。小さなイスにちょこんと腰掛けて、いろんなことを聞かれる。時節の挨拶なんか何もなし。10分か20分…いたってスマートにこちらの研究のことを聞き出されて「それじゃ来年は○○万ドル、研究費を出しましょう」とその場で即決されました。非常にアメリカ式ですね。日本だったら書類揃えるのにもう大変ですが(笑)。
私が日本に帰国してからも「日本では研究費が乏しいという話を聞いている。帰ったら、京都大学から自分のところへ言ってきなさい」そう言われて…結局4〜5年(もっと長かったかな?)、毎年研究費を送って下さった。私のほうから頼んだわけではなくてね。私は非常に感心しましたが、そういう方がおられましたね。
もうひとつ、成宮君(編注:成宮周、京大教授・薬理学、京都大学でのお弟子さんの一人)が武田医学賞を貰ったときのこと。私は委員長をしていたので授賞式で挨拶をし、成宮君が最後に謝辞を述べました。彼曰く…何かの時に失敗をして、私に申し出たら「 Today is the first day of the rest of your life. 」という言葉を贈られた、と。「今日という日は、あなたの残りの人生の最初の日です」という…有名な言葉ですけどね(笑)。彼はそれが嬉しくて、元気を出してここまで頑張って来られた。今日「武田賞」を貰って、明日からまた精進します…そういう挨拶でした。
皆、感心してくれましたが…私がびっくりしたのは成宮君が20何年も前のことをよう覚えとるな、ということです。先生というのは良いものですね。教師冥利に尽きるというのはこういうことだと思います。あまり、うっかりしたことは言えませんナ(笑)。