八重伊勢桜図 【やえいせざくらず】 (1828年/文政11年) 法量:71.4×27.7
<櫻に因む蒐集品控>より
これまで見てゐる画に伊勢桜は瑟々に限らずごく少ない。 |
異牡丹桜真図 【いぼたんさくらしんず】 (1828年/文政11年) 法量:145.5×51.5
<櫻に因む蒐集品控>より |
織田瑟々【おだ・しつしつ】
近江国御園村川合寺(現・滋賀県八日市市)生れ。名を政江。父親の血筋は織田信長の九男信貞を先祖として津田三位貞秀(のちに織田の姓に改められます)。
瑟々は三熊露香を師とし、露香と共に新書画展に名を連ね、画家としては17歳(寛
政8年・1796)の頃画壇にデビューします。瑟々が22歳の享和元年(1801)頃、露香
が他界し、その後10年ほどの間の活動は途絶えてしまいます。 三熊派の中では瑟々だけが墓所の確認ができています(現在、滋賀県八日市市内・西蓮寺)。法名は「専浄院殿天誉快楽名桜大姉」とつけられており、見るからに“名桜大姉”と「花狂い」「桜狂」であったことを物語っています。 |