杉元仁美
酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員
−櫻に因む蒐集品控にて−
『往年、山本楽善堂で同じデザインの心もち小さい品を戦前に求めたが、なければならぬ筈がどうしても見付からず、事によると旧宅・表茶宅に出しておいて盗まれてゐるかもしれぬと思ふて馬鹿げた値段を目をつぶって買ふ。』
桜の模様を大小・色鮮やかに、七宝の精密な細工で施されている。
表面に薄く扁平な銅の針金で桜の模様に輪郭線をつくり、そのくぼみに種々の色のガラス釉を施して、1,000℃前後で焼く。さらにその上に透明釉をかけて焼成し、仕上げに表面を金砂で研磨する。これを<有線七宝>という。また、針金を使用せずガラス釉を絵の具のように塗り焼成する<無線七宝>といわれるものもある。
七宝には様々な技法があり、透明の色釉を用いて焼いた<透明七宝>、ヨーロッパでは一般的な<彫金七宝>がある。素地の金属に彫りくぼめて模様をつくり、釉薬を焼き付けるものと、模様をほりそれが見えるように透明釉を施したものとの2種類の技法がある。
七宝の歴史は明かではないが、日本には奈良・平安時代にはすでに七宝の技法が伝わっていた。一時、衰退するが桃山末期〜江戸初頭にかけて七宝の技術が復活する。
京都の金工師 平田彦四郎道仁(1591〜1646)が朝鮮の七宝の技法を学び、平田家は幕府の御用を務めた家柄となり、刀剣装飾や襖の引手などに腕を振るい、その作は平田七宝とよばれ珍重された。
その後、天保年間に尾張国の梶 常吉(1803〜83)がオランダ七宝の技法を学び、明治以降七宝の技術は著しく改良され、日本の七宝工芸の興隆の基礎を築いた。