杉元仁美
酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員
平安時代の公家の女子の衣服の中心として、袿【うちき】といわれる実用衣がある。何枚も重ね用いる形式であったが、鎌倉時代になると、これまで用いられたが袿が礼装的な意味を持つようになり、一枚ではおることが正装視されたのである。宮廷において衣服の簡略化が起り、小袖に袴をつけ、上から袿をはおった姿を衣袴【きぬはかま】といったのである。
鎌倉時代以後、小袖が中心となって衣服構成が出来、小袿の代りに小袖を打ち掛け、袴を略して外出するようになったのが<打掛>の起源である。<打掛>は歩行の祭に褄をかいどるので「かいどり」ともいった。また、夏季には肩を脱ぎ、腰に巻いたので「腰巻」と呼ばれた。江戸時代になると、武家の夫人や御殿女中の正装となり、公家女子、富裕な町人の家庭でも用いられるようになった。 明治以後、婚礼衣装として上流階級に用いられたが、戦後、貸衣装として一般化した。