小林一郎
(78期)
それまでの研究から「このままでは日本の桜は滅びてしまう」という危惧を感じた新太郎は「桜に贈る弔辞」(大阪学士会講演)、「名桜巨桜の保存についての批判」(東京さくらの会講演)、「日本桜滅亡論」、「桜につれなき時代」(中央公論掲載)、「桜を亡ぼす桜の国」(文芸春秋掲載)などで活発に意見を述べたが、要約すると……
これらの事業は多彩な人脈の中で、鉄道会社や県庁部門のトップとの繋がりから進められたもので、特に大軌(今の近鉄)との関わりが目に付く。
「……その他の桜を求めてもいまでは心のままにたやすく得られぬのにくらべて、ソメイの方は苗木の寸法、その数量、全く思いのままで、希望の数量さえ示せばたちどころに手に入ること、足袋会社の足袋よろしくの実状である。その上に値段も一番安い。
……ソメイヨシノの是非については、ずいぶん長い間、年々同じようなことをくりかえして論議しているが……こんな水掛け論議をする代りに、何故にソメイが拡まるかの根本理由を考えて、これに劣らぬというより勝るほどの桜を創り出せばいいと思うし、これが独りよがりのできぬ相談でなく、山桜のよさを喪わせずにソメイの成長力にも劣らず、若木にも花を咲かせるなど、私はすでに十七、八年も前にややこれにちかい苗木を作ったが、さて、これにしてからが、ソメイの仲買で暮しをたてておる業者からは、たしかに邪魔者になる訳で、いまのままでこの種の苗木を殖やすのは事実においてはむずかしい。現に私は戦前にこの苗木ではないが、優秀な山桜の実生苗圃を前後三回、戦後に一回、一夜のうちに枯死させるといった迫害を受けた忘れがたい苦い経験がある。いい桜苗を大量に作って公の場所に大がかりの寄贈をされたのでは業者の営業が成立たぬというのであろう……」
資産家の新太郎にとって、業者の嫌がらせなどもう少し後になってみれば可愛らしいものであったろうと思われる。日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争も雲行きが怪しくなってきた。