「論孟首章講義」大阪大学懐徳堂文庫所蔵 |
岸田知子
(78期・高野山大学教授)
享保11年10月5日、官許学問所懐徳堂は開講を迎えた。この日、石庵は『論語』学而篇と『孟子』梁恵王篇上のそれぞれ冒頭について講義した。この講義筆記は『論孟首章講義』と題されて現存しているが、これを読むと、わかりやすい表現の、かんでくだくような口調がしのばれる。
「論語」論語ト云フハ、孔子ノ論ジ玉フ御辞ヲ、弟子ダチカラ又ソノ弟子ヘ云ヒ伝へ書ツタヘ、此書ニナルヲ論語ト名付…
「学而第一」学而ト云フハ、発端ニ学而トアル語ヲ取テ篇ノ名トセルナリ、古ハ竹ノ簡ニモノヲ書ツケホリタテヽ、ナメシ革ニテアミテオキタル故ニ、コトノ外カサダカナル故ニ、コノ書モ十巻廿篇ニシタルナリ…
上は講義の最初の部分である。『論語』という書名と「学而」という篇名の由来をわかりやすく説明しているのであるが、短い言葉の中に『論語』の成立の過程や、古代の書物の形態、『論語』の篇数までにも言及している。特に、「昔の書物は竹簡を革で編んで作ったため、かさだかであった」という具体的で興味深い話を挿入しているところには、長年、町の人たちに講義を続けてきた石庵ならではの老練な口調がうかがえる。
このあと『論語』を学ぶ意義について論じてから章句の解説に入る。語釈を丁寧にわかりやすく説き、その後に解説を展開しているが、先人の注釈家の名は一人として見られない。この講義から、石庵の学問が『論語』や『孟子』に書かれた教えそのものを自身がどう捉らえるかを主体としていたことがうかがえるのである。
また、『孟子』の解説では、本来相反するものとして論じられる「義」と「利」を、「義」を追求することが「利」につながると捉えていて、商業活動を肯定するものとして注目される。この学風はこのあとも懐徳堂の教授に受け継がれていく。
『論孟首章講義』の末尾には当日の聴講者七十八名の名が記されていて、塾生の名簿を他に持たない懐徳堂にとって貴重な資料となっている。