「懐徳堂幅」 筆:三宅石庵(懐徳堂初代学主) 大阪大学附属図書館蔵 |
岸田知子
(78期・高野山大学教授)
このシリーズでは、江戸期の大坂で「学校」と呼ばれた懐徳堂とその周辺について述べていく。近代以後、大阪は学問的風気の薄い土地柄であるとの見方がされてきた。しかし、江戸時代の大坂は、嫁入り道具に漢籍を入れるほどの好学の町人層を多く抱えた町であったのである。そうした大坂の一面を知ることも、このシリーズのねらいである。
なお、「大坂」の地名はもともと上町台地の北部を指していたのが、船場を含み、さらに近世前期に天満を合わせた地名となった。「大阪」の地名は、早くから混用されていたが、固定されたのは明治以後である。坂の字は「土に反る」と読めるので嫌われたと言われている。