六稜ト-クリレ-【第3回】

    六稜NEWS-031107

    狂言ワークショップ「古典芸能を体験してみよう」
    安東伸元(65期)さん
    reporter:日高敦洋(92期)

    素晴らしい出会いの場だった。残響の存分に効いた六稜会館ホールに響き渡る朗々とした声。今となっては先ず捜し求めなくては決して辿り着けない充分に澄み切った日本語。あのホールの明るいトーンのフローリングがその瞬間、スーッと能舞台となった。

    演目一番はこれからの古典芸能を担う若手により演じられた狂言『盆山』。体一杯に使った軽妙で若々しい立ち回りにぐいぐい引き込まれホール空間は室町に。 最初グッと居住まいを正しながらの観劇だったがいつしか相好が崩れ、思わず笑いが。なんとも自然に設えられた導入であった。皆の肩の力が少し抜けたところ で安東伸元先輩に御登壇願ってワークショップ、御講話に。現在日本の古典芸術、古典芸能の置かれた危機的環境についての憂慮、なのめならざる状況への慨嘆 一頻り。また氏がイランに赴かれた際、彼の地での若者が実にすんなりと日本の古典を何の抵抗障壁もなく受け入れ、氏の予想だにしなかった1000名を超え るイランの観客との小謡朗誦の掛け合いのワークショップが大成功であったこと、そしてその背景には彼らのコーラン朗誦の習慣があるのでは、と氏の御考察が あった。氏がイランの若者の目の輝きに打たれた反面、在イランの日本大使の日本古典に対する悲しいまでの知識の欠如を語られていて彼の地で氏が味わった面 白くも悲しい今の日本の姿に通じる逆説的情況に聴衆もただ肯くばかりであった。氏が体当たりで大学講師をしつつ現代日本の若者と精一杯『格闘』されている お話や「今はタカラヅカと劇団四季さえあればいい?」「一万円出して日本人が何でわざわざシェークスピアを観に行くか?」「古典芸能はネガティブ、後ろ向 き?」の氏の言葉に込められた思いは図らずも氏の古典芸能を力強く敷衍普及活動をされている日常を思い知らされた。本当の日本人、日本らしさをもった日本 本来の歌の唄える日本人がもういなくなっていること、それだから一層、頑固と言われようともこのホールに詰め掛けた六稜人にその日本人の範足り得て欲しい との氏のメッセージを感じ取ることができた。

    お話の後、ワークショップ。実際、狂言小謡『雪山』を氏の朗誦に導かれつつ直口伝、皆で声をあげた。何と氏の面白い実験謡であの『アメージング・グレー ス』と小謡『雪山』とのクロスオーバーセッション!!(その場に居た人にしか体験できません!)共に切なくもいとおしい人を想う愛の歌だけに実に自然にシ ンクロしていった。これには一同吃驚。そしてこれら日本古典に対するミニ知識、ミニ体験を積んだ後にいよいよ狂言『萩大名』の鑑賞に。氏の腹の底からの澄 み渡った幅のある高い響きが、より一層中世日本語を恰も朗々とした一曲の楽としていた。狂言独特の装束、姿勢、所作、身のこなし、足裁き、目線、顔の造 り、主従の掛け合いがホールに現出した室町空間に柔らかく溶け込んでいった。

    この狂言という古典にはご存知のように登場人物を措いては取り立てて今流行の大仕掛けの大道具の類というものが全く排除されている。実際このホールのフ ローリングの床にも50センチほどの柱を模した木柱が方形に置かれた他は竹の渡しが数本設えてあるだけである。後は観る者の大いなる日本的な感性に頼りつ つ創り上げていく一種双方向的な芸術である。それだけにそれだから尚更私達は日本というものをしっかり積み上げていかなくてはならないのではないだろう か。ともすれば欧米に偏向するきらいのある中等語学教育も、本当の意味での「ゆとり」をもって日本の古典にもじっくりと対峙できれば…。そのように感じた 第3回六稜トークリレーであった。

    私は北野時代から古典というものにずっと変わらぬ興味を持ち続け、この一新された六稜会館で古典に触れられる絶好の機会に旨く巡り会うことができた。私の 今の職業とは全く関係が無いものの北野の生み出した大先輩、多士済済にこのような形で触れ合えることが出来るのはまさに六稜の力だと感じる。もっともっと 多くの六稜の仲間にも味わってもらいたい想いである。


    Last Update: Nov.8,2003
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