「日本経済あれこれ~阪神ファン式
人生の法則」国定浩一さん@71期
11月のトークリレーの講演者は、国定浩一さんである。元会館運営委員としては、毎月の講演者は気になるものである。今年の阪神は、夏頃には13ゲームも差をつけて、その後の監督は誰がやっても楽勝や…しかし、このままではいささか詰まらんなぁ…と思っていた。
当時、委員の方には、秋頃の講演者は「国定さんにしたら…???」と話しかけた事を覚えている。以前より、テレビ等を通じ、経済人であり、また異色の「トラファン」である事は承知していた。
こんな時期に、ひょんな事から友人の「昭和プロの社長」から、10月のある日、読売テレビのトーク番組『××××のそこまで言って委員会』に聴衆として参 加してほしい、との連絡が入った。公開収録なる現場に初めて立ち会う事となり、狭い観覧席に「拍手のサクラ」として参加した。その時、世の中は狭いもの で、同席した友人の奥さんが、パネラーの「国定氏」を見て「いや~あの方は、ニュージャージーのアパートで一緒やった…」となり、氏が小生の高校の後輩で あると知り、驚いたものである。
今回のトークリレーは幸いな事に、演題が「日本経済あれこれ…と阪神タイガースあれこれ…」であった。
リーマンブラザーズNY本社 |
国内外の経済状態
現在の世界の経済状態は、素人の我々の目から見ても尋常では無い。
アメリカの不動産会社のサブプライムローン事件に端を発し、続いて証券会社リーマンブラザーズ問題となり、世界の株価の下落問題、行く先に困った巨大投機 資金の国境を越えた原油、農産物等、あらゆる分野への恥も外聞も無い「金融侵略主義」に世界は翻弄されている。これらは、アメリカの「ワシントン、ハー バード、ウォールストリート」三者の「利と欲」に目の眩んだマネーゲームの性である。
「100年に1度の暴風雨に曝されている」との事であるが、これらは一見論理的に正しいと思われる「金融工学」(ブラック-ショールズ方程式~ デリバティブの価値づけの偏微分方程式)なる魔物による所産である。しかし、この分野については、35歳以上の者には理解出来ないとも聞いている。偏微分 方程式を解いてまでして「ゼニ」を儲け生きようとは思わぬ。既に古稀を過ぎている、恩師福永光司先生の教えに従い、老子荘子と親しくして「清貧…いやいや 赤貧」の生活を続ける事にする(笑)。
為替と外貨準備高
国定さんの講演を聴いている最中に、色んな事が脳裏をかすめた。
我々が社会人になった昭和30年代~40年代当時、我が国は戦後復興で国を挙げて外貨獲得に懸命であった。その為に全ての産業は輸出品製造に必死になって いた。当時、1ドル360円の時代であったが、長い期間、「金・外貨準備高」は「20億ドル」程度が続いていた。それが最近では、1兆ドルに近づきつつあ り、隣国中国は1兆ドルを超えている。当然為替レートも変化し、1ドル100円を切っている。
米ドルを基軸通貨とするこの外貨準備なる摩訶不思議なるものが、こんなに膨大な額になっても、自由に「円」に交換する事が出来ず、一度某首相のように口にすると国際的な大問題になる。
アメリカの企業を救済する為に、1000億ドルを投入する話が出ても、そんなに問題にならないのは極めて不可思議なものである。隣国、中国も巨大な外貨準備高にある面困惑しているのではないか。
市場の自由に任せるというアメリカの論理も先が見えて来た感があり、やっと「デリバティブ」なる魔物にメスが入れられようとしている。
時代の寵児は一瞬に失墜した |
「ゼニ」は汗を流して実業で稼ぐものであり、株、証券、金融派生商品等をIT技術、金融工学等を利用し、巨大なマネーゲームにより虚業で稼ぐものでは無い、との国定さんの講演に心を動かされたものである。 わが国でも、一時某H、某Mが若い世代間で、英雄のように扱われたが、事件となり有罪となった事は幸いな事であった。
因みに昭和40年代のヴェトナム戦争当時の戦費は、約1億ドル/日であり、現在のイラク戦争の戦費は、約3億ドル/日で、この巨大な戦費は大半国債で賄われており、その出資国はどこなのか…??? 考える事は意義のある事である。
阪神タイガース
ここで国定さんの話は佳境に入る。
甲子園球場のライト外野の観覧席…では無く、応援団席の様子が手に取るように、そして目に見えるように臨場感あふるる語り調になる。
「おばちゃん方」の口々から飛び出る言葉が、直接話法で伝わって来る(笑)。関西弁ゆえ、我々にはおばちゃんの顔まで想像出来、実にユニークで、直接的で あり、びんびん心が伝わる。新幹線の席での背広の裏のタイガースマークをこれ見よがしに、掛けて通行客の言動を薄目を開けて、覗き見て優越感を感じておら れる国定さんの茶目っ気には心底笑ったものである。この辺は、言葉で書くより、国定さんから再度語ってほしいくらいである。
勝っても負けても「阪神ばんばんざ~い」である。ヤバイ言葉も飛ぶが、ゼニも飛ぶ…思い返しても楽しい抱腹絶倒の語り調で、国定さんは、絶対に「東大法学部・漫談科」を優秀な成績で卒業されたと思う。
間も無く四十になるわが娘も、二十年前の高校生時代に、通学用カバンの中には、いつも「黄色の縦じまの法被」が入っていた様で、「16番」がついていた…この番号は、確かグッズの売れないものだったとお聞きした(笑)。当時は「バース、掛布、岡田…」だったかなぁ…。
我々は、戦後間もなくの時代であり、「若林(監督兼務)、土井垣、本堂、後藤、藤村、長谷川、呉、別当…藤本がおったかなぁ(有名歌手の島倉千代子の元旦那)」…何と言っても、物干し竿の藤村の阪神であった。少年時代の懐かしい思い出である。
国定さん、本当に「楽しく有意義な漫談調ご講演」有難うございました。
Last Update: Nov.24,2008