「硫黄島の兵隊~生還した父が遺していったもの」~吉川清美さん@80期 映画『硫黄島からの手紙』が上映中、私は観たい気持ちと見たくない気持ちが複雑に入り混じり、遂に観ずに終わってしまった。「戦争の悲惨さ」をもう目の当たりにしたくなかったからだろう。 戦時中っ子の私たち小学生は、ラジオから流れる大本営発表は、常に我が日本軍の勇躍ぶりを告げるのみだったし、戦況が緊迫状態であることは子供心にも分かっていたが、勝利の日が来ることを100%信じていたのだ。 今回、ト-クリレ-に参加する前に『硫黄島の兵隊』をAmazonから取り寄せて一気に読んでみると、内容は想像を絶するものだった。 全将兵の頭に刻み込ませたという「敢闘の誓い六ヶ条」に「われらは、各自数十人を倒さざれば死んでも死なず」というのがある。吉川さんはここを朗読して「今の平和な世の中で考えるとちょっと滑稽なんですが…」と笑いながら言葉を挟まれた。 私たち戦争を知ってる世代にすれば抵抗なく頭に入る言葉なのに、元兵隊を父に持った彼女でさえ、そういう受け容れ方をするのだから、戦後62年目の日本は平和なのだ。
それにしたも、吉川さんは硫黄島のデータの蒐集と研究をここまでよくされたと感心している。慰霊団に加わって「硫黄島」へ行かれたときのお話もとても興味深く拝聴した。 幸いにも吉川さんの父上は生還されたが、あの環境の極悪な硫黄島で、あたら尊い命を国のために失って行った多くの兵士たちのことを思うと「ご苦労さまでし た」の一言で片付けるにはあまりにもむごい。彼らは心の底から国のために命を捨てて逝ったのだろうか?或いは追い詰められた責任感の結果だろうか?或いは 本心とはうらはらに軍の掟に従わざるを得なかったのだろうか?考え出すと際限はない。 まだ、戦死した多数の遺骨や遺品が激戦地には残っているという。少しでも速くそれらの収集に力を注いでほしいと願うのみである。 ※吉川さんが朗読された、父上が講演会の時に話された末尾の一節。 2007年8月15 日「終戦記念日」に記す。 |
Last Update: Aug.15,2007