「良き師、良き友~柔道、送球、鎧球に育まれて」羽間平安さん@58期
先月、会館運営委員の谷卓司君(98期)から「来月のトークリレーの講演者に、58期の羽間平安さんにお願いし、快くご承諾を頂きました」との情報が入 り、また、われわれ58期の尼崎君からも電話を貰い、それは良かったと喜んだ次第です。演題は「良き師、良き友~柔道・送球・鎧球に育まれて」との事で、 これは面白いぞと、期待したものです。
58期の有志で、毎月1回の昼めし会(壮澪会)を開いているのですが、彼は、これにも顔を出し、関大理事長時代には、大学経営の現状、冬の時代と云われた大学経営の難しさに、その蘊蓄を傾けてくれたものでした。
この日の、彼の北中時代の思い出話では、「我々にとっても、同じ思いやったなあ……」と、生々しい思い出に浸ることが出来ました。あの断郊競走では、彼 はいつも上位にランクし、スピードでは、自他共に認めていた「バラ」こと島原勲君(故人)をして「平安だけは、抜けんかった」と言わしめた、懐かしい思い 出があります。それほど彼は、運動では、北中時代、際立った存在でした。
その後、関大のアメフット部のQB(クオーターバック)として活躍。甲子園ボウルでは大学日本一の栄冠に輝き、卒業後、社会人時代にも、永年、名審判として活動。その白い手袋は、彼独自のトレードマークとして、今もなお、スタジアムで、守り続けられているとの事です。
凸版時代には、頭と心と足を使う、考える営業マンとして活躍。あの懐かしい戦後間もない頃の、10円札を、財布より取り出し、それを刷っていた頃の思い 出話。また、無人改札用の磁気乗車券の開発、銀行キャシュカードの開発等にも、携わり、営業第一主義の繋引役を発揮して来たものです。
58期の私達も、卒業50年を記念して、かつての思いを込めて『ああ母校北野中学』を凸版で製作出版しました。準備のための初めての幹事会を予定してい た当日に阪神大震災が起こるなど……ハプニングを乗り越えて完成した文集でした。1人1~2頁という事で、編集が始まったのですが、われわれの思い出断ち がたく、98人、380頁の豪華版になり。これも、出版にあたっての、彼の貢献は言わずもがな。われわれ皆、大いに感謝している訳です。
彼の多岐にわたる経験と実績は、いよいよトークを佳境に入らせ、聴衆は魅せられる様に、聴き入りました。時間の経つのを忘れ、彼自身、一番話したかったアメフットの話は、遂に時間切れとなって、話すことが出来なかった事を、トークの後、残念がっていました。
「良き師、良き友」として語ってくれたのですが、彼の友の一人として、これからも良き友の中に加えてくれることを念じ、筆を擱くこととします。
Last Update: May 20,2007