六稜ト-クリレ-【第22回】 reporter:三島佑一(60期)

    六稜NEWS-050813

    「ほむら野に立つ~私を救った北野生」
    広実輝子さん

    静止した黄金のひととき

    広実輝子さんが北野のトークリレーで話されるというので久し振り、ぜひ拝聴にと思って暑中見舞を出した。「知った人が来られると話にくいですが」ときれいな上品な達筆が返って来た

    広実さんとは「火中に立ちてとひし君はも」が豊中高女学徒動員記録の会の文集『ほむら野に立つ』に収められて本になる前頃知ったと思う。大阪の戦跡めぐり の企画があって、長柄橋の橋脚に機銃掃射を受けた跡を見て、淀川の堤を歩いたことを憶えている。堤防から降りて来られるのを手を差し伸べようとして、一寸 畏れ多くてようしなかった。何と冷たいと思われたのではないかと後まで思った。

    書かれたものを読み、現に左手首に包帯を巻いておられるのを目の当たりして、生々しい感動を受けた。その時も直接当時の模様を聞いた。しかし、今度まと まった時間で、ご自身描かれた絵をもとに話されると、何倍もの実感が伝わって来た。大変な当時の様子が瞼に浮かんだ。一人倒れていた所へ幻のようにおじい さんが現れ、そこへ北中生が来て助かった。
    刀根山病院……真っ暗、両親が来られ、お母さんが手首切断を猛反対され、阪大病院に運ばれ運よく切断されなくてすんだと。ずいぶん長い時間、よくまぁ激痛に耐えられたもの、そんなにろくに処置されず生き長らえるものかと改めて驚いた。

    当時、生死を共にした同級生の方々の話も感動した。最近知った58期の橋本 修さんも上半身大火傷を負われたことも初めて知った。そんな素振りもなく元気にされているので、これ又大きい驚きであった。以来、豊中高女、北野合同の戦友?会が開かれているとか。

    広実さんは、平成に入って何の用だったか忘れたが、お宅の広実病院をお訪ねしたことがあった。美しい銀髪になられて、こんな年のとり方をしたいものと思っていたが、今度もその時とお変わりなく、淡々と話される姿にすごく説得力があって、空気が張りつめた。

    広実さんの、「火中に立ちてとひし君はも」は、教科書に載ったと紹介されたが、日本ペンクラブ編・田辺聖子さん選の『ロマンチックはお好き?』(集英社文 庫・1981)の中にも収載されている。川端康成、宇野千代、与謝野晶子、小松左京、黒岩重吾、竹久夢二、原田康子、森茉莉、錚錚たる作家二十人の中にで ある。
    九死に一生……特に広実さんの場合は、危うく左手首を落とされるところを助かった貴重な体験談。雑然と過ぎる人生の時間の中でも、黄金のような静止したひとときであった。

    いつか「野」という小さな文集に何か書いてほしいと依頼され、私は同じ「野」と題して罹災後、近江八幡に疎開し、安土を越えて能登川の干拓に自転車で通っ た蒲生野のことを書いた。のち戦争体験歌文集『山河共に涙す』に載せた。そんな勤労動員の当時も思い出されたひとときであった。


    Last Update: Sep.3,2005
 六稜トークリレー Talk Relay