高校生の「理系離れ」が論じられているようですが…これは今に始まったことではありません。わが国の昔からの習慣というかね(笑)。
サイエンス離れ、サイエンス嫌いというか…例えば、脳死の問題を議論する場合にも、遺伝子の組み替え食糧にしても…何か科学的なデータに依拠して議論するのではなく、情緒的に「あれはアカン」という意見がまかり通っています。もちろん、科学が万能だなんて決して言う心算はありませんけれど、もう少しサイエンスに立脚した話し合いをしてもらわないといけませんね。
科学的考察…それには「教育」が何よりもキーワードになるような気がします。今の高校生が20年後の研究の最先端を担うわけですからね。学生に好奇心を持たせること。講義など聞きに行っても面白くない講義ばかりだったら逆効果でしょ。いい先生で、いい講義をしてくれる人の話を聞いて育っていく…ということでしょうが、これがなかなか難しいんですね。
私の場合、元来…秀才でもなければ勉強熱心な男でもありません。むしろ遊ぶのが好きな男で、ほとんど勉強したことがないんです。小学校の時、父兄会に行った母が「お宅はどこの家庭教師に行かせているのですか」と聞かれたそうですが、母はびっくりして「うちの子は家庭教師など着いていないし、学校から帰るなりトットと外に出てしまい…ガキ大将みたいにして遊んでばかりいる」と言うと「早石さんのお母さんは意地悪だ。家庭教師を教えてくれない」と恨まれたそうです(笑)。
北野中学に入ってからも、映画に行ったり音楽会に行ったり…遊んでばかりしてましたからね。もちろん、その頃から「将来のこと」なんて考えたこともないし、考えても解らなんだですよ。自分でも知らないうちにこの道に入っていたのです。
それは高等学校でも大学でも同じことで、余り勉強はしませんでした。むしろ実践して、それから本を読んで行く…というほうが好きだったから、それが「研究者」に向いとったのかも知れませんね。これは単に「向き/不向き」の問題で…臨床のお医者さんは、ある程度知識が揃っていないとダメなんですが、研究者というのは必ずしも全部の知識が必要ではない。生化学者だって、生化学の教科書を全部知っている人は何人もいないでしょ。1ページか2ページ知っていればそれでいい。
ところが「自分が何に向いているか」ということ…これがなかなか解らないもんなんです。学校の先生がそれを見抜いてやらなければならないと思います。中学校・高等学校の先生が(あるいは親が)相談相手になってやって、向いている職業、向いている人生を選ばせたらいいのであって、医者に向かん奴を無理に医者にせんでもいいし、裁判官に向かん奴を裁判官にせんでもよい。選ぶのはあくまで本人であって、対話しながら本人が決断できるように導くのが先生の仕事だと思います。
教育も結局「人」なんですね。学生と対話ができて、学生にいい影響を及ぼすような先生と…学生のほうも、先生と個人的な接触を持つ機会を積極的に考える…。
京都大学の講義の後で「興味のある人はいつでも研究室に来て一緒にお茶でも飲みましょう。ランチセミナールもやっているから、いつでも来なさい」そういうと必ず反応がありましたね。その中から、だんだん親しくなって大学院へ入ってきたり…。うちの教室からは120人ちかい教授が輩出しましたけど、その大半はそういう人でした。
ですから、高校生に限りませんけれども、自分の好きな科目の先生とは個人的に接触をして…ということが大事だと思います。こういうことは今のシステムでは許されるのかどうか知りませんが…少なくとも私は、水鳥先生の所へ押し掛けて行ったり、外人教師の所へ押し掛けて行ったり、ずいぶん色々個人的に親しくなったという記憶があります。
それから、いい友達を作るということでしょうね。小さい時分から人生の晩年に至るまで…友達ほど大事なものはないと思います。私は、引っ込み思案で非社交的な人間でしたが、何もそう喋らなくても、ただじっと一緒にいるだけでいいのです。ボソボソ言って、時には一杯飲んだりして。話の通じる人といろいろ意見を語りあう…沢山の人はいらんから2、3人の親友があればいいのです。友達があると人生が変わってきます。
この頃の若い人はどうなんでしょうか。人にも拠りますけど…決して社交性だけじゃないと思いますよ。恩師、友人、そして家族…やっぱり人の影響というのが一番大きいんじゃないでしょうかね。本も学校も大事ですけれど。
私は昔から「運」「鈍」「根」というのが非常に大事だと言われ、人にもそう言っていますが、色紙などに書く時には「運」「鈍」「人」と書くんです。「運」「鈍」「人」というのは、「運」というのが大事で、「鈍」というのは余り賢すぎたらあかんということです。殊に研究者は賢すぎたらあかん。人生というのは賢すぎたらあかんのとちゃいますか?