松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)
ただこの話の内容には腑に落ちない点がいくつかあります。まず悲劇なのか喜劇なのかがはっきりしないことです。自らの命を失うことになるようなことを提案するというのは大変不可解なことです。それに日本の古代には犠牲を示す証拠が見つかっておりませんし、人柱という犠牲の習慣があったとは思えないことにもあります。
これらの疑問に答えてくれる興味のある仮説を、在野の民俗学者・若尾五雄氏が提示しています。氏は人柱の問題を文芸面だけではなく、技術面から考える必要があるとし、柱の根元を補強するものを袴と呼ぶことから、「袴継ぎ」を木橋の橋柱の水平抵抗力を増すために斜杭で補強することとして、「この話は長柄橋を架けるにあたり、岩某が袴継ぎの工法を提唱し、その工法(人字形の柱)が採用され、橋が滞りなくできあがったということであるに過ぎない」と説明しています。このようにいろいろな説話や歴史的通説を技術的な側面から考え直してみることは新しい発見につながっていくことになるでしょう。
「長柄人柱巌氏碑」(昭和11年建立)という大きな石碑が、淀川区東三国一丁目の大願寺というお寺のすぐそばに建てられています。そして大願寺には長柄の橋の柱の残材に彫られたという地蔵像などが伝えられています。現在の長柄橋から2kmも離れた所に、なぜ長柄橋ゆかりのものが伝えられているのか不思議ですが、古い時代の長柄という地名は、淀川分流点から神崎川の近くまでのずっと広い範囲を指していたのかも知れません。