われら六稜人【第46回】「ミナミ千日前に馳せる思い」

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第6幕
初めての小説『舞い舞い虫独り奇術』

    • ◎資料から浮かび上がる勘市は、相当えぐい男らしくて、念願の横井座の柿落としの翌日、暴漢に刺殺されます。当時の新聞その他には、女房、娘は行方知れず だとか、九州へ酌婦に売られたとか切り捨てられていました。

      一心寺にある横井勘市のお墓
      一心寺にある横井勘市のお墓。イラストは成瀬国晴さん
      (出典:『なにわ難波のかやくめし』より)

      たまたま出席した大和屋さんでの露の五郎さんの叙勲祝賀会で、イラストレーターの成瀬国晴さんと隣り合わせ、彼が明治初期創立の千日前の旅館「むかでや」 のご子息で、子供の頃、3軒向こうの駄菓子屋のおばあさんが勘市の娘なみさんで、一緒に町内のみかん狩りに行ったと伺った時は、驚きで息が止まるかと思い ました。 しかも会の余興で、小説にちらりと書いた「へらへら踊り」を、上品になっていましたが、この目で見られてわくわくしました。
      ◎勘市が刺された時担ぎ込まれた「明治医院」を、中央図書館で閲覧した明治16年だったかの古地図で見つけた時、体に寒いぼが立ちました。

      桂米朝師匠
      出版記念パーティで呼びかけ人を
      お引き受けくださった米朝師匠

      ◎大阪叢書という昭和初期の和綴じの本で、図らずも見つけた「盆屋」は嬉しかったです。店の前にほの暗い行燈、暖簾をくぐると入り口のタタキからすぐ幅広 の二階への段梯子、それぞれの部屋に盆が置かれ、忍びあった男女が料金をそれに乗せて亭主と顔を合わせずひっそりと帰るのです。

      盆屋を知って私のテンションは急上昇。小説の後半が変わりました。オッチョコチョイの私は、何人かの人に「ぼんや、知ってますか?」と聞いてみて、けげん な顔に出会うとぞくぞくしました。中で、人間国宝・桂米朝師匠は「知ってまっせ。昭和になってもおましたで。行きましたがな。…打ち合わせで」
      以後、私はますます師匠を敬愛するようになりました。

      ◎日本で初めて稲畑勝太 郎がリヨン留学時の学友オーギュスト・リュミエール発明の映画を買い付けてミナミの南地演舞場で上映した話は、嬉しがりの私には大いに愉快で、キ サが弟子の喜助に誘われて息子幸太と胸とどろかせて見に行くことにしました。
      六稜同窓会長の稲畑勝雄さん(われら六稜人【第31回】所収) が、この勝太郎さんのお孫さんだと、出版後に知りました。 後にお目にかかる機会があり感激しましたが、その折の話に又びっくり。 大津でロシアの皇太子が巡査に切りつけられる「大津事件」を、キサが時事ネタがいいと奇術にちゃっかり取り入れると使いましたが、その時通訳をしたのは勝 太郎さんだったそうです。

  • 他にも近藤正臣さんが煙草王・村井吉兵衛を演じた『けむり太平記』などたくさん芝居を書きましたが、中座も無くなり、この不況の中、大阪で芝居を制作する のは大変で、東京で創ったものが上演されることが多いのです。芝居の依頼を待つより自分の納得出来る小説を書いてみようと思い立ち、数年前から素材を探し始めました。刑場や墓地が天王寺村に移された後、猥雑な興行街 へと変貌して行く明治の「千日前」が面白く、ここで松旭斎天一より腕が上と言われた中村一登久という奇術師を見つけ、その女房が舞台で目を射貫かれ、後質 屋になったという2、3行にビビッと来、「キサ」と名づけたこの女を主人公に、「一徳」という人気の奇術師に惚れて「千日前」でけなげに生きた当時のワー キングウーマンを書いてみようと思いつきました。
    脇に、道頓堀に敵愾心を燃やして千日前に「四千人劇場」とも囃された「横井座」をぶっ建てた実在の「横井勘市」を、キサを拾い上げハシリにこき使う、父親 でもオトコでもない微妙な関わりの男として登場させることに。こうして私の孤独な小説著作が始動しました。
    この小説にまつわる私にとっての不思議な出会いや経験もいくつかあって、お話してみましょう。

    桂米朝師匠
    六稜六四会・川本晴男会長も
    応援に駆けつけてくださった一人

    2001年3月15日、『舞い舞い虫独り奇術』はやっと「編集工房ノア」から陽の目を見、8月に関係者の方々が分不相応な出版記念会を新阪急ホテルで開い てくださいました。会場にはたくさんの同窓の人々、「われら六稜人」の編集スタッフのみなさんも顔を見せてくれ、稲畑会長は呼びかけ人に名前を連ねてくだ さり、64期会長の川本晴男さん、紅艶隊のお三方の熱いご挨拶を頂戴しましした。「北野」のご縁をひとしお痛感し、感動しました。※出版後、出版社気付で「キサ」というお名前の方からお便りをいただきました。「よみうりライフ」の私の取材記事で「キサ」という珍しい自分の名を目に し、驚いて図書館で読み、キサの生き様に感激したとあり、キサさんは四男五女の5番目の娘、両親は面倒くさくなったのか、母親のサキをひっくり返してキサ と名づけられたとのこと。物心ついて以来自分の名前が大嫌いで、ひらがなに子を付けて「きさ子」と書いてみたりと苦労したが、この小説を読んで、すっかり 「キサ」の名が好きになったというもの。
    私はすっかり嬉しくなって、失礼だが、明治の珍名で出会ったが、キサという響きが自分の書きたい主人公にピタッと来て、ずっと心の中で大切に愛しんで育て て来た女性ですと返信をさし上げました。

Update : Oct.23,2001

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