第2展示室
博物館に入りびたる?
- 僕、ちっちゃい時から虫好きやったんですよ。一番最初は幼稚園の教育の影響なんですけどね。西淀川区の大和田幼稚園に行ってたんですけど…そこの先生がよ う虫採りをさせとったんです。その頃から虫に興味持ち始めたんだろうと思いますけど。
だいたい小学生っていうたら虫好きですから、男の子は虫採りしますよね。でも中学生になってもまだ続けてるって言うのはあんまりいない。ただの虫捕りじゃ なくて、標本を作ったりしないとバカにされるわけですわ。その頃になると家の周りだけじゃ物足りなくて、電車に乗って遠方までわざわざ虫採りに出かけたり して…。
そうやって蝶々とかたくさん取るでしょ。そうするとすぐ箱がいっぱいになるんですわ。標本箱ってね、結構高いんですよ。一箱やっぱり何千円とかする。だか らそんなに買えないでしょ。で、標本が溜まってくると、博物館に持って行って寄贈するわけです。要は捨てに行くようなもんなんですけど(笑)…「捨てに行 く」言うたら怒られるね…ともかく、博物館に差し上げて標本箱を空にする。
そうするとですね、代わりに針をくれるんですよ。標本を作る際には針が要りますからね。あの針も…百本入りで何百円もするんで。ま、お金で買い取ってくれ る訳じゃないですけど、針と交換に標本を引き取ってくれるわけです。そうやって標本箱を空にしては、また一生懸命作る…。だから今でも大阪の博物館には僕 の子供の頃の標本があるんです。
大阪の長居公園に自然史博物館があります。祖父母が平野区にいて、今でこそ地下鉄谷町線が天王寺から伸びてますけど、昔あれがなかった時代には地下鉄御堂 筋線で長居まで行って、そこからバスに乗ってたんですね。その途中で寄り道して…長居の植物園にはよく連れて行ってもらった記憶があります。だから、その 中に博物館があることや、そこに行けば虫の標本とかが置いてあることなんかも、わりと小学生の早い時分から知ってました。
一人で行こうと思った最初のきっかけはね。博物館の先生に質問を書きましたわ。最近はうちでもインターネットとかメールでの質問が子供たちからよく来ます けど、当時は手紙に書いてね。そしたら返事を頂いて…「じゃあ、博物館にはこういう催しがあるから、来たらどうや」というお誘いを頂いて、それで行くよう になったんです。
そういう行事に参加するとですね。博物館の先生には(僕も今はそうですけど…)「あ、こいつはできる奴や」って分かるわけですよ。同じ虫好きでもね…なん ちゅうんかな、プロ野球のスカウトもそうかも知れませんけど(笑)。「こいつはきっとかなり虫やってる奴や」とか…直感で判るわけです。そうすると博物館 の先生も周りの大人も話をしてくれやすいんですね。
そんなことから博物館に通うようになったんですけど、遠いですからね。うちから一時間くらいかけて行くような距離で。そんなに頻繁には行ってないですよ。 気が向いたら行くっていう感じで。でも今考えたら、ものすごく迷惑な子供やった思いますね。いざ自分が博物館に入ってみるとね、その忙しさが骨身に染みて 分かりますから(笑)。
子供やからね…別にアポも何も取らんと行くわけですよ。「こんにちはー」とか言うて、気楽にね。そしたら学芸員の先生がいらっしゃるでしょ。研究室があっ て、わりと居心地が良いんですよ。「何しに来たんや、おまえは?」っていう嫌な顔もされずに、「あぁ、よう来たなあ。よう来た」言うて歓迎されて。
とにかく、行けば誰かいるんですよ。だから部室と同じですわ。部室へ行ったら誰かいるじゃないですか。一人で鍵を開けるのはちょっと嫌やけど、それでも開 けたら誰かがやって来る…そういうようなイメージを持ってましたね。だから向こうにとっては甚だ迷惑な存在だったかも知れません。
1981(S56)年8月31日(月) 毎日新聞大阪市内版20面 |
夏休みに「昆虫を持っていったら先生が調べてくれる」っていう標本同定会というのがあって、デパートなんかでもよくやってますけど(うちでもやりますけど ね)、そういうところにマスコミが取材に来るわけですわ。夏休み最後のネタということでね。そこへ珍しいものを持っていくと、先生が「これはちょっと今年 の目玉かな」とか言うてくれはるわけです。
僕も一度、滅多に採れない虫が捕れたんで…本来は日本にいないはずのものが、なんか台風に乗って飛んでくるんですよね。汚い蛾なんですけど。素人目には、 それが日本にいない種であるということが分からないわけですわ。それを中学生が知ってた…ということで「偉いなぁ」ということで新聞に載った記憶がありま す。
そうやって中学生の頃から…わりと博物館を利用してましたね。
Update : Apr.23,2001