われら六稜人【第39回】がちゃぼいマンガ道

エロマンガ島

第8話
マンガ必要十分条件

    小さい子供というのは自分の顔を大きく描くわけです。女の子ですとこういう絵を描く。わざと似たように描きますよ。下手に描くのは難しいな(笑)。
    こういう顔で、目と鼻と口は小さい子供でも描きます。それから自分の体をこういうふうに描きます。これくらいは2つか3つの子供だったら誰でもこれくらい までは描ける。それでは自分の身の回りはどういうふうに描くかと言いますと、例えば、自分のお父さんを描く。これは不思議なことに、自分よりも小さく描くわけです。自分 の兄さんはどうか。これも自分より小さく描く。それから、例えばチョウチョが飛んでいる。これはでかく描く。何故かと言うと、子供の目にはチョウチョは美 しく見える。美しく見えるということは印象が強いということで、でかく見えるわけです。
    印象の強いものはでかく描く。それから、お日様。これは誰でも描くんですが、このように光った感じで描く。自分の家はどうか。自分の家はとっても入れない 犬小屋くらい小さく描く。これは小さい子供には家の大きさの判断がつかないからです。このように「大きい/小さい」を混同して描きます。

    それからもうひとつ、大袈裟に描くわけです。それと、形を変えて描く。あるいは、誇張して描く。こういう手法が小さい子供達には本能的にあります。小さい 子供の絵というのは非常にマンガ的です。子供が一番最初にエンピツを持って描く絵というのは、非常にマンガ的なんです。

    何頭身?

    これは普通の女の人をマンガ的に描いたもんですが、体を分けて見ると8頭身はない。7頭身。日本人にはちょうど良い割合です。7頭身ぐらいの人っていうの は、ざらにいるわけです。
    でも、それじゃあマンガとして面白くない。われわれはこれをもう少し縮めてみる。 1頭身というのは化けものだから無い。2頭身くらいまでならマンガは誇張して描けるわけです。これが、マンガの誇張の面白さ。
    何故このように絵を誇張して描くかといいますと、マンガ家の絵の特徴というのは、何か一つのものを、そこだけハッキリと特徴づけて描くことなんです。とこ ろが、何を言おうとしているか、絵で読者に示すためには、それと同時にやはり、絵の中に人間味、暖かさを盛り込む事が必要なんです。向こうの絵ですと、あ まり冷たくて味も何もないわけです。多くを盛り込むためにはどこか誇張して描かなければならないわけです。

    アトム

    この尖っているものは耳でもなんでもなく髪の毛なんです。モデルは僕の頭。風呂へ入りますと僕の頭の髪の毛はどうしてか知らないけどパーッと立つんです。 天然パーマで昔から髪の毛が逆立っていたんですね。両方の髪の毛がピンと立つのでそれをモデルにあんな顔を描いたわけです。
    本当を言えば、ブアーッと全部逆立った髪の毛を描けばいいんですが…2本だけ描いたということが逆に特徴になる。これが一種の誇張です。それから、まつげ は5本しかない。5本に整えたというのが省略の特徴です。アトムのまつげが6本あるのも、4本しかないもの、これはアトムの偽者であります(笑)。アトムのテレビ放送が始まった時に、どこかのオモチャ業者が4本まつげのオモチャを出したわけです。こちらが怒りましたらですね「これは手塚さんのアトム じゃあない。私の作ったアトムだからまつげが4本です。違う人間です。だから、オモチャを勝手に作ってもいいんです」と開き直っちゃった。
    まあ、そんなこともありますが、大体、作家の作ったものといいますのは、パチッと特徴があればその作家の描いた作品だということになるんです。

    『リボンの騎士』の「サファイア」にしても、こんな髪の毛をしている女の子なんておりません。これをアメリカへ持って行った時に「これは黒人の女か?」と 言われました。こういう髪の毛をしている女性はむこうでは黒人に見るんです。そういうことがあって、髪の毛に特徴があると僕はみたんです。実際に、髪の毛 がこう縮れてひっくり返っているのはない。こういうものが全部マンガの特徴として出てくるんです。

Update : Jan.23,2001

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