われら六稜人【第36回】漢字に魅せられて…漢字学の楽しみ

第五画
若者文化に漢字が復権した理由

    私はよく4月の初めに大学の講義の冒頭に言うのですが「他の文字体系と比べて漢字には特徴があるが、それは何か」と。歴史が長いとか表意文字であるとか、 学生はひとつひとつ数え上げていきますが、最後にちょうど手品の種明かしのように「オレが考える漢字の特徴とは『好き嫌いがある』ということだ」と言うん です。
    世の中には漢字の好きな人と嫌いな人がいる。しかし世の中にアルファベットが好きな人とか嫌いな人はいない。ひらがなについて好き嫌いは発生しない。文字 の中でひらがなやアルファベットは好き嫌いの対象とならないのに、なぜ漢字がその対象となるのか、これについて考えてみようと学生をあおります。たとえばコンピュータについては好き嫌いがあるんですね。車についても好き嫌いがあります。そう考えてくれば、好き嫌いの対象になるのは「上手に使いこな すとこんな便利なものはないけれど、習得するまではかなり努力を強いられる」そんなものなんですね。今のコンピュータはずいぶん楽になってますけど、しば らく前のMS-DOS時代には真っ黒な画面に「dir a:」とか「cd c:\」とか、なんか呪文みたいなのを打ちこんでいましたよね。
    要するに、使いこなせれば大変便利なんだけど、そこまで行くにはかなり苦労させられるもの、クルマもコンピュータもそうですよね。使いこなせたら好きにな るし、そこまで行けなかったら嫌いになる。漢字も同じことで、使いこなせたらこんなに便利なものはない。しかしそこまでは大変なんですね。途中でその苦労 を負担に感じれば嫌いになる。好き嫌いの対象になるということは、使いこなすと便利なものだということです。

    いまおもしろい現象が起きていますね。「親指姫」と呼ぶそうですが…女子高生なんかが携帯電話で親指1本を駆使して鮮やかにぴぴぴっとメールを書いてるでしょう。あれがおもしろい。
    もともと電話はリアルコミュニケーションをとるために発明された機械ですよね。手紙だったらはるか昔からある。しかし手紙は一方通行であって、コミュニ ケーションにタイムラグが発生する。それで電話が発明された。電話なら、同時に双方向に情報交換できるし、相手の声もきこえる。それが手紙をはるかにしの ぐ「文明の利器」たる所以でした。
    ところが、その「音声で相互交流をするために作られた電話」で今は片方向の手紙(メール)を出している。返事が来たら、ニヤッと笑ってすぐ打ち返している。同じ人間とワンフレーズずつやってるようですけど。

    これ…人類の歴史を逆行しているみたいに思うんですけどね(笑)。

    若者は漢字を知らないといいますが、漢字検定試験というのがありますね。あれ、若者にすごい人気なんだそうです。漢字検定協会の人がそう言ってました。 もっぱらメールのためなんだそうで…「親指姫」のコミュニティでも、間違った漢字を使うと仲間から馬鹿にされるんだそうです。それで小学校の時代から漢字 の書き取りなんかまったく眼中になかった連中が、いま携帯メールのために漢字を勉強している(笑)。おもしろいでしょ。

    この間、大学で講義している時に気づいたのですが、最近の学生はカタカナで書かれた電報を知らないようです。今は慶弔電報でも漢字かな混じり文ですからね。

    カタカナばかりで書かれた電報がいかに読みにくかったか。「キシャノキシャ、キシャデキシャ(貴社の記者、汽車で帰社)」とか「カネオクレタノム(金送れ 頼む/金を呉れた呑む)」とか、そういう話をしていたら、学生がフーンという感じで聴いています。そういう時代になったんだなと思いました。今ではもう、 漢字かな混じり文で文章を書くのがあたりまえだというふうになっていて、そのことにだれも疑問を感じていない。カナモジカイや日本ローマ字協会の人が聞い たらくやしがるでしょうけどね、きっと。

    確かに考えてみると…20年くらい前までは、電気やガス・水道料金の請求書が葉書で送られてきた時、住所はカタカナで書かれていたでしょ?それが、ある時 からパッと漢字に変わった。あれが日本のコンピュータ黎明期における、漢字を利用したもっとも大きな業務処理だったのではないでしょうか。今みたいなパソ コンじゃなくて大型コンピュータの時代ですけど、データ処理するだけだったらカタカナでいいはずなのに、やはり漢字を使えるように工夫した。そこに日本人 と漢字とのしがらみみたいなものがあるんじゃないかなと思います。

Update : Oct.23,2000

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