われら六稜人【第24回】医療NGOから見たコソボ

第3章
NGOの支援合戦


破壊された橋
    コソボにはNATO軍の空爆終了後、各国のNGOがおそらく大小合わせて50団体くらい殺到し、いろいろな分野で支援合戦を繰り広げているとのことです。 食料支援、建物インフラ関係、医療関係、学校教育関係、その他もろもろ。それぞれのNGOがコソボでの実績を残そうとしのぎを削っているというわけです。 本当に真剣に競争し、目立つ場所、後に評価されそうな場の確保のために、隙あらば蹴落としてやろうと駆け引きを行っているとのことです。日本からの日赤、 アムダ、MeRUなどの医療NGO同志でも駆引きがあるといいます。つまらぬことに神経をすり減らすことなく、うまく調整できないものかと彼らの話しを聞 くたびに思いました。どうも、今回のような緊急支援の場合はどこでも繰り返されている勢力争いのようです。医療関係では、有名なフランス政府肝いりの「国境なき医師団」が圧倒的物量で支配者然と振る舞い、MeRUのような弱小NGOは、下手をすると活動拠点を 奪われてしまうとのことで、先任の二人のお嬢さんは必死の思いでけなげに頑張っていました。しかも二人共全くのボランテイアで、たまたまMeRUの誘いが あってこちらに来たとのこと。そのけなげさと真剣さには感心させられました。MeRUはこの二人の努力が実り、ペア市から30分くらい車で行った所にあ る、バラニという地域の破壊された昔からの診療所の一部を補修して診療を再開し、地元の医師一人と看護婦3人の協力を得て、診療活動を支援し徐々に患者さ んの受診が増えてきているということでした。また、後にWHOの認定を受けられるように活動報告をWHOに提出し、ペア市の医師会のボスに評価してもらえ るよう宣伝活動を行っていました。地元の医師、看護婦の活動は全くのボランテイアで無報酬で頑張っておられました。

    わたしは短期の滞在ですし、現地の医師、看護婦等は余っているという状況なので、医師としての診療を行う必要性はありませんので、現地の実状、病院の実態 を知ること、また、WHOなどの国際団体が政治、経済、医療などの実際的支援をどのような戦略でやっているのか、今後の計画は?などについて勉強すること にしました。従って、街を歩き、病院、診療所をたずねていろいろな人の話しを聞き、国連、WHOなどの通達文を読むという毎日でした。
    結構いろいろなことを学ぶことができました。不幸に見舞われながら礼儀正しいコソボの人達と接し、9年間も差別的抑圧を受けてきた人達が、抑圧から解放さ れ、街は破壊されているが、生き生きと目を輝かせている姿、特に子供たちの輝く瞳と笑顔、物乞いなど一切無しの暮らしぶり、美しい娘さん達の颯爽とした姿 などを目の当たりにして、また、英語を話す人達から聞いた開放感に裏打ちされた今後への希望などの話しを聞いて、平和ボケと言われる日本の現状と対比し て、本当にいろいろ考えさせられたコソボ滞在でした。

Update : Sep.23,1999

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