第7法廷
嗚呼、転職人生…
- さて、高砂丸という病院船に護送されて、私は別府の海軍病院に収容されました。2本ついていた松葉杖も1本、2本といらなくなって…東京へ戻り、大学へ復 学しました。だいぶ経ってからの復学でしたから…随分年の離れた人たちと席を並べて勉強してね。飯食わなあかんし、卒業もせなあかん…それで普段は学校へ は行かずに、試験の時だけ柔道部や剣道部の体格のいい連中を前に座らせて…私は堂々と参考書を首っぴきで解答したものです。試験官も、私には何にも言わ ん。だから成績はほとんど“優”でしたヨ(笑)。実は戦争へ行く直前に既に結婚をしていました。だから女房や子供を養うために何か仕事をしなければならない。それで、戦友の村山慶吉と2人で、荻窪の駅前 で果物屋を始めたのです。津田と村山…あわせて“村田屋”。単純でしょ。でも、果物屋の仕事は大変です。朝早くから青物市場に行って競り落とし、木箱から 一つ一つ取り出しては良いものと悪いものを選り分けて、それぞれの値段をつけていく。陳列もね…後ろに鏡を置くと数がたくさんに見えるし、いろいろ細かい テクニックがあったのですが、何分…素人商売でそんな面倒くさい小細工は嫌だったので、箱から出してそのまま適当に並べて…どれも同じ値段で売っていまし た。
そのうち、大学の友達や戦友たちの知るところとなり、遊びに来ては「旨そうやな、ひとつくれや」と言って勝手に食べていくようになりました。「売りモン や、やめてくれ」とも言えず、仕方がないので良いものだけ店の奥に取っておくことにしたのですが、そうすると店先には悪いものばかり並ぶわけでしょ。ある 日それをお客にみつかって「その、後ろのやつ下さいナ」って言われて「あ、これは売り物ではありません」なんて言ってね…実のところは自分たちでめし代わ りに喰ってたんですが(笑)…そんなことをしていて商売がうまくいくワケないですよね。或る日突然客足が途絶えて一人も来なくなりました。「これは変だ ゾ」と思って表通りへ出てみると、なんと入り口の角地で果物の叩き売りをしている露天商がいるではありませんか。そちらのほうが値段も安いし、呼び込みも 巧くて繁盛していました。「何もこんな鼻先で対抗することもあるまいに…」頭にきた私は文句を言ってやりました。
「わしはそこの村田屋や。何も…わしんとこの鼻先で同じ果物を叩き売らなくてもいいやろ。明らかに営業妨害や。他所に行っておやり下さい」
そうすると相手はじっと私の方を見てこう言うのです。
「村田屋さん、あっしのことご存知ですか」
「果物屋!」
「果物屋には違いねぇが…あっしは尾津組の幹部をやってる土屋と申します」
尾津組というのは泣く子も黙る(?)関東きっての暴力団でした。
「何も…あっしは村田屋さんの商売の妨害をするためにココでやっているのではありません。このあたりは、尾津組舎弟の海上組の縄張りで、ここが“天ショバ”といって、商いをするのに一番いい場所として割り当てられているだけなのです」 そう、のたまうワケ。しかし、こっちも生活がかかっている。怯んでもいられず抗議すると、
「分りやした、こうしましょう。あっしらは夕方6時になったら引き揚げますから…その後、ここで村田屋さんが露天をおやりなさい。ここは、駅を降りた通勤 客がみんな必ず前を通る一等地…6時頃になれば、みんな帰宅するためにここを通ります。あんな奥で店をやっていても所詮、売れ高は知れているでしょう」
随分と気っ風のいいハナシです。
「それじゃぁ、お互い共存共栄ということで…」と意気投合して、土屋のオッサンと手打ち式をしました。翌日から、きっかり約束通り…6時には“天ショバ”なるものを明け渡してくれましたね。
こうして、しばらくは果物屋稼業を続けていたのですが…結局はそれも先細りであまり上手くいかず、親戚の伯父に説得されて大阪に戻り、役人になることにしました。
大阪通産局の石炭課で「熱管理監査官」という肩書きです。効率よく石炭が使われているかどうかを工場を監査し、その結果をもとに石炭の配給量を決める…と いうのが主な仕事でした。「役人は乞食と同じで3年やるとやめられん」と言われますが…確かに3年もやるとやめられんようになります(笑)。
当時、石炭課には東大卒の課長がいました。ある日その課長が私に起案を命じたのです。そこで起案して持っていくと、課長はその起案書に朱を入れるのです。2回目も同様。それで3回目を命じられた時に言ってやった。
「課長、ご自分でやられたらどうですか。どうせ朱を入れるのだから…最初からご自身の手でやられたほうが、ずっと効率がよろしい」
それから、私には一切、何も仕事が回って来ません。干されたワケですね。登庁しても、机に足をのせて新聞を読み、冬になればストーブの前でじっとするだけ…さすがに「こんな人生を続けてはいられない」と自戒して、この仕事は辞めました。