われら六稜人【第2回】六稜のタカラジェンヌ

第2幕
母娘対談
「真竹すぐる vs 美笛みつる」

母:美笛みつる
/植松憲子さん(78期)
娘:真竹すぐる
/植松美貴さん(104期)

聞き手:岸田知子(78期)

    ――デビューの年は?
    美笛 昭和44年に初舞台を踏んで、46年に結婚で退団しました。
    真竹 平成6年に初舞台です。
    ――お母さんは2年で結婚退団。そろそろ…ですか?
    美笛 みなさま、口をよろしく!(笑)
    「For Sale」の看板をベタッとくっつけときたいところやわ。
    良かったら拾ってやってください…鰹節ぐらいは付けますから(笑)。
    真竹 やっとこれからや…言うときに、何言うてんの。
    だんだん舞台が分かってきたンやから。
    美笛 まだ「動く大道具」ばっかりで、持ち出しの方が多いやん(笑)。
    ――タカラヅカで4年目というのは…どういう役割ですか?
    真竹 まだまだ下っ端やけど…ここ2~3年が勝負や思うて頑張ります。
    美笛 伸びるかどうか、可能性は自分やで。頑張りましょ。
    ――タカラヅカに入ろうと思われた動機は?
    美笛 子どもの頃から、いつも歌劇は観てました。
    いわゆるヅカファンで…漠然と「ええなぁ」と思ってたンです。
    ――では、どうして北野に?
    美笛 どうせ落ちるんやったら…みんなに難しいと思われてるトコを受けて落ちたほうがカッコイイと思ったんで(笑)。

    ――お嬢さんのほうは…どういう動機で?
    真竹 母がタカラヅカ出身でしたし…私自身もよく観劇してましたから…
    憧れはありましたね。
    ――決心した年齢は?
    真竹 小学校6年生の頃からもう、行きたいと思っていました。
    ――40倍の狭き門では…実技面で非常に高度なレベルが要求されますよね。北野通学時代もお稽古はずっと続けてた?
    真竹 お稽古はぎりぎり。最低限度だけ。
    美笛 だって月謝でいったらそうなるもんね。
    「私立と公立の差額でやりなさい」という前提で…「北野に行くこと」をタカラヅカへの条件にしたようなところもありましたから。
    ――最近の北野生はクラブそっちのけで受験勉強をしているケースも多いようですが…そのうえに「お稽古」では、負担にはならなかった?
    真竹 稽古は週に2日しか行ってないんで…それを補うためにクラブに行ってたという面もあります。器械体操部でしたから。
    ――それはダンスにもちょっと関係しますね。
    真竹 ラインダンスなんか…振り付けによっては得する時もあります。横転できる人は単独でやらせてもらえるから。
    ――お母さんが「タカラヅカに行け」って言った?
    真竹 すっごく反対しましたヨ。
    ――タカラヅカに落ちたらどうする心算だった?
    真竹 宝塚音楽学校の合格発表の日が、実は予備校の受験の日で…両方の用意を持って合格発表を見に行きました。

    ――外から見ていると「規律の厳しいタテ社会」という印象がありますが…。
    美笛 わたしの頃は、お掃除も、正門でお辞儀するという決まりも無かった。とくに煩く言われ出したのは50年代に入ってからではないでしょうか…。
    真竹 掃除は大変でしたね。そればっかりが思い出…。
    美笛 だから娘が「行きたい」と言い出したときも、面白いやないの…と思いましたね。「行 きたいのなら行け」じゃなくて「入れたら行け」と。あとは一切干渉も推しもしないけど、あなたが行きたくてタカラヅカのほうが採ってくれるのなら、行った らどう?と言いました。ただ「北野は卒業してから」という条件はつけましたが。
    ――北野での勉強とタカラヅカへのレッスンと…両立は大変だった?
    真竹 タカラヅカのほうが重かったんじゃないかな。北野の授業って…居眠りしてたことの方が多かったンで…(笑)。
    美笛 最低限度しかやらせてなかったもんね。
    他の人に比べたら10分の1ぐらい…声楽とバレエだけだったから。
    ――音楽学校時代のことで一番印象に残っていることは?
    真竹 やっぱり掃除かな(笑)。
    予科1年間は掃除、本科になってからレッスンに明け暮れた…という印象しかないですね。
    ――タカラヅカというと、どうしても閉鎖的で封建的な社会
    というか、上下の身分関係がものすごく厳しくて、自分
    の自由な時間は取れない…というようなイメージを抱き
    がちなんですが。
    真竹 それはないですね。仕事を離れたらプライヴェートにはまったく干渉されることはないですヨ。
    ――お母さんが先輩…というのはどう?
    真竹 たぶん、人より得しているような気も…しないわけじゃないですけど。その程度ですね。
    ――タカラヅカの舞台に立っていて、いちばん楽しいことは?
    真竹 毎日、舞台で演じていても…演じる側も観客の反応も毎回、違いますから…。
    何か演技をやったときに、それがうまく伝わったと感じられる時は、すごく嬉しく思いますし、やりがいを感じますね。
    ――では、逆に苦しいことは?
    美笛 ダイエットでしょ(笑)
    真竹 うるさい!(笑)
    役に自分が思うように入れないとき…悩みます。
    ――北野時代の印象に残るエピソードは何かありますか?
    美笛 西 川先生の音楽の授業のとき…試験で歌ったら教室で拍手が起こったんです。音楽の試験で歌うというのは中学校の時にもありましたけド…拍手が起こったという のは一度もありませんでしたから、それで「ひょっとしたら…」と思って。タカラヅカを受けようと思った直接のきっかけはそれでした。
    ――わたしたち…3年の時に一緒のクラスやってんね。
    美笛 夢も希望もない、女ばかりの暗い部屋で…(笑)。
    ――男女共学やのに、文系だけは別々にされてね…。
    美笛 ベビーブームで学区は広くなる、生徒が大量に増える…けれど、大学合格者数は天王寺に負けてる…というので先生がカリカリになってはった時期で。
    ――優秀な男の子を固めて…女の子だけノケモンやってんね。
    美笛 言いたくはないけど、校外の掃除はみんな女子やった。
    ――ちょうど理科が必修になって、物理の先生が化学教えたりしてた…
    美笛 そういう先生が女子の文系クラスに回ってきて「頼むからこれで受験せんといてな」とかいいながら授業するんです。ええかげんやったね~。
    ――2階、3階には女子トイレも無かったし。
    美笛 1階まで走ったもんね。ホント迫害の時代やった。
    ――少し上の世代では、女性がすごく大事にされてたみたいヨ。
    美笛 そうよ。女の子は遠足代を払ったことがない。荷物を持ったことがない…というの聞いたことがある。
    ――ちょっと脱線しましたが…。
    真竹さんは、北野時代のエピソード…ありますか?
    真竹 入試の時、ちょうどお昼時にお茶をもらいに行こうと廊下を通ってたんですね。そしたら頭の上でガラガラっと音がして「なんだろう」と思ったら、天井が落ちてきて……いにしえを感じました。ははは。
    ――建て替え前で、補修も何もしてないから。ひどいよね(笑)。
    真竹 校舎はぼろぼろ、先生は替わりかけで…「北野がいちばん北野らしい時代」の終焉を見届けたように思います。

    ――今後の抱負をひとつ。
    真竹 コツコツやって行くしかない
    と思っています。
    美笛 娘の応援をどうぞよろしく
    お願いします。

Update : Oct.23,1997

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